金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

こころ

母方のおばあちゃんの家には夏目漱石の「こころ」が置いてあった。子供のころからずっと気になっていたのだけど、ちゃんと読んだのは大学に入る前のことだった。そのときの私は大学で何を専攻すべきか悩んでいた時期で、最終的に文学を専攻したのは「こころ」を読んで面白いと思ったからだった。経済学や商学も捨て難かったけど、どうせなら興味が持てる学問を選ぼうと思った。外国の文学ではなく日本の文学を選んだ。

おばあちゃんはたまにA4サイズのノートに日記を書いていたみたいで、遺品整理のときにその日記が見つかった。何となくパラパラと眺めてみたところ、日々の不安な気持ちなどが書かれていて、あまり見ちゃいけないような気がしたからそれ以上は読まなかった。もしもおばあちゃんがまだ生きていたら、ブログをやるように勧めていたと思う。世界中の人が読めるんだよ、なんて言ったら、そんなの嘘だって笑うんだろうな。

おばあちゃんは個人事業主としてクリーニング屋さんをやっていたことがあると母から聞いたのは、年末年始に帰省したときのことだった。店を構えて近所の人から洋服を預かり、クリーニング工場に引き渡していたのだそうだ。クリーニングが終わる時間になったら工場に取りにいって、お店にくるお客さんに返却していたのだとか。それは末っ子だった母が高校に進学したころの話で、ある程度自由に使える時間が増えたおばあちゃんは、いつも忙しそうにの働いていたそうだ。

私が知っているおばあちゃんはいつも料理をしていて、どちらかと言えば家庭的な印象が強かったから、その話を聞いたときに意外だなと思った。もしも今おばあちゃんに会うことできたら、クリーニング屋さんとして頑張っていた時代の話を詳しく聞いてみたい。

おばあちゃんが亡くなってからもう十何年も経つ。今になって思えば、おばあちゃんと私は人間としての感覚がどこか似ていたのかもしれない。私も夏目漱石の「こころ」が好きだし、日記を書くことも嫌いではない。いつか独立してみたいとも考えている。おばあちゃんが亡くなったあとに判明した共通点がいくつかあって、血は争えないのかな、なんてことを考えるようになった。

おばあちゃんはどんな気持ちで「こころ」を読んでいたのだろうか。名作だと思うけどさ、先生の遺書、流石に長すぎるよね。そういう感想もきっと同じだったら良いなと思う。もう一度だけあなたに会えるとしたら、みたいなことをほんの少しだけ考えていた。