金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

春に閉じこめて

やはり自分には誰かを思いやるという気持ちが欠落していて、結局は自分のことだけにしか気が回らない。自己中心的でありながらも他力本願な私だ。

誰かと誰かが責任を押し付け合っている場面をたまに見かけることがあって、その度に皆んな大人なんだなと思う。守るべきものがあり、帰るべき場所があるから必死なんだろうなと思う。私にはそういったものをひとつもなくて、当事者だとしてもその意識は薄いのだと思う。ヘラヘラと馬鹿にして笑ったり、申し訳なさそうなフリをしてお茶を濁してばかりいる。やがて濁ったお茶は真っ黒になって、誰にも飲まれないまま捨てられる。今の私はそのお茶に限りなく近い存在だ。

YouTubeの関連動画で「あなたは溺愛される」とサムネイルに書かれた動画を見かけた。見つけたときに「それはマジで頼む」と思ったけどその動画は見ないことにした。溺愛はされてみたいけど、どうせされないことは分かっている。過度な期待は良くないし、ほんの少しの期待すら許されないことだってある。結局は1人でなんとかしないといけない。頼れる人が誰もいないという話ではなくて、誰かに頼ることが難しいという話だ。

人という漢字は、人と人とが支え合っている姿から成り立ったという話を聞いたことがある。昔、春の季節、年度末か年度始めの学校かテレビで、金八先生みたいな誰かがごちゃごちゃ喋っているのを聞いた。けれども今の私は人と支え合うことができていないような気がしている。自覚できていないだけで、実は誰かと支え合えているのだろうか。もしそうだったとしたら貰ってばかりで与えることができていない。だからあまり健全な状態はないと思う。

もういっそのこと、トドメを刺してくれないかと思う。格闘ゲームの終盤、スーパーコンボで相手を倒したときみたいに、派手な演出と共に何もかもが終われば良い。私に春獄殺をかけて欲しい。瞬獄殺ではなくて春獄殺でお願いしたい。私を春に閉じこめて、見るも無残にやっつけて欲しい。「うん、良い感じ」と言いながら、ボコボコになって倒れている私に背を向けて欲しい。

季節の変わり目は天候も気分も安定しないから苦手だ。雨も嫌いだし強風も嫌いだ。ただし三寒四温という言葉の響きだけは好きだ。だから私を春に閉じこめて、押し花のように押し潰して欲しいと思う。そして、ぺちゃんこになった私を見て笑う君に訪れる新しい夏がこれまでよりももっと良いものでありますように。そんな風に誰かの幸せを祈ることができない。2024年の春の終わりに。