金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

はぴあざんえばー

この間いつものように音楽を聴きながら帰っていた。当たり前のように電車が混んでいて嫌だなと思った。そのときにふとBillie EilishのHappier Than Everが流れていることに気付いて、アコースティックギターとビリーさんの歌声が良い感じだった。この曲は中盤で曲調がガラッと変わる。ちょうどその少し前のところだった。前よりは幸せかな、とビリーさんは歌う。ミュートのエレキギターガリガリと音を立て始めていた。

君とはもう関係ないマジで。君のせいでこの街が嫌いになっちゃったよ。そう歌ったあとに曲調がガラッと変わる。何度も聴いるはずなのに、そのときは何故かめちゃくちゃに刺さってしまった。君と離れることができて本当に良かったよ、だって前より幸せだもん、みたいなことが歌わている。歌詞が英語だからニュアンスしか分からないけど、切りたいのに切れない繋がりってあるよなと思う。

むかし好きだった人と出会った街を思い出せば、エモいというか感慨深い気持ちになる。もちろん切ない気持ちも混在している。自分は故郷の街をあまり好きになれなかった。それは確かに嫌いな人がたくさんいたからだったのかもしれない。嫌いになる対象を街にして、いろんなものから逃げていただけなのかもしれない。どうして今そんなことを考えているのかが自分でもよく分からない。好きな人に好きだと言えなかったからかもしれない。あるいは嫌いな人に嫌いだと言えなかったからかもしれない。

東京の電車はいつも混んでいる。それでも自分は東京の街が好きだ。去年(2023年)よりも前からHappier Than Everは携帯に入っていたはずで、去年も一昨年も何回か聴いていたことがあったはずだけど、ここまで全然刺さってはいなかった。だから今がはぴあざんえばーなのだと思う。今が幸せという話ではなくて、前よりはマシという話だ。

あの日のスヌーピー

昔、とある大きな仕事が終わったタイミングで仕事仲間とお好み焼き屋さんで打ち上げをしたことがあった。あまり高いお店ではなくて、どちらかと言えばコスパ重視のお店だった。確か食べ飲み放題のコースで、お好み焼き以外にもフライドポテトとか唐揚げなどの揚げ物も注文できたから、もはや何屋さんだったのかはよく分からない。テーブルに備え付けられていた鉄板の上でお好み焼きを作ったことは間違いないから、お好み焼き屋さんだったということにしておく。

普段、私は全く料理をしない。でも学生のころはファミレスのキッチンでアルバイトをしていた。客が少ないモーニングの時間帯なら1人で回せていたから、割と手際は良かったんじゃないかなと思う(いま同じことをやれと言われても絶対にできない)。なのでお好み焼きを作るくらい私にとってはお手のものだった。具材を混ぜて焼くだけではあるが、それでも面倒臭いのが料理の欠点だと思う。自分のためではなく、仕事仲間のために作るお好み焼きだから手が動いたのだった。

先に油を引いて、油の温度が上がってから焼き始めた。そうしないと焼き目が付かないし、お好み焼きが鉄板にくっついて見た目が悪くなってしまうのだ。料理は見た目が肝心なのである。アルバイトで飲食業に潜っただけの私でもそれくらいは分かる。1番重要なのは味だとは思うけど、見た目もそこそこ重要だと思う。

お好み焼きを作り終えた私は、鰹節や青のりをかける前に、ソースで何か絵を描いてみたいという気持ちになっていた。直径15センチくらいのお好み焼きだったから、やろうと思えばちゃんとしたお絵描きができそうだった。ほとんど悪戯みたいなノリで、私はこっそりお好み焼きの上にスヌーピーの絵をソースで描くことにした。それが割と評判が良くて、皆んなが笑ってくれたことが嬉しかった。そのときに撮った写真は今でも大切に残している。何気ない1日の、何気ない出来事だった。

あの日のスヌーピーを、君はまだ覚えているだろうか。お好み焼きの味は思い出せないけれど、あの日お好み焼きの上に描いたスヌーピーの絵を、私は今でも覚えている。皆んなで楽しく過ごした時間を覚えている。

現在は皆んなそれぞれ別の場所で働いているけど、また一緒に仕事をしたりできたら良いなと思う。そのときはまたスヌーピーを描きたい。お好み焼きとソースじゃなくても、紙とペンがあれば良い。もっと上手にスヌーピーの絵を描けるようになりたい。

緑色のネクタイ

思い出が深すぎて捨てられないものがある。それは昔アルバイト仲間から就職祝いでもらったプレゼントで、緑色のネクタイである。

私は学生のころに某大手運送業者でアルバイトをしていた。単純な肉体労働だったたけど、まだ若かったことと短時間だったということもあり、結構長いこと働かせてもらった。人の入れ替わりが多くて、半年くらい働けば古参という感じの職場だった。老若男女問わず色んな人が入ってきては出ていったけど、外国のかたは入ってこなかった。あとから知った話だけど、そのとき採用を担当している人の方針で、経験者または近くの大学に通う日本の学生のみ採用していたらしい。私が採用された理由は後者で間違いないけど、本当にそれだけだったのなら運が良すぎだったなと思う。高校中退という経歴かつ貧弱な体つきだったから、書面的にも見ため的にも肉体労働には不向きと判断されても仕方がないところだった。たまたま定員割れしていたのかもしれない。とにかく運が良かったのだった。

私にネクタイをくれた人は、おそらく経験者のかたで、とても長い間その職場で働いている人みたいだった。けれども私が入ったときにその人は不在だった。私と入れ替わるような形で休職したとのことで、癌を患ったとのことだった。その人が復帰する前に辛すぎて辞めるだろうと私は考えていたから「へえー」とか「ふーん」などと言って話を聞き流していた。だけど時間の経過とは早いもので、あっという間に1年半くらい経ってしまい、ふと気付くとその人と一緒に働いていたのだった。

その人は女性のかたで、当時まだ40代と(人伝に)聞いていたけれど、何度か再発を繰り返していたらしい。そのことで色々なことを諦めたと周りの人から聞いた。具体的なことは聞かなかったけど、アイドルを応援するようになったことや、アニメや漫画などを熱心に追いかけるようになったことが、その影響なのだそうだ。私は当時(今もだけど)サブカル気取りのゴミ人間だったから、その人とシフトが被ったときはよく深夜アニメの話をしていた。病気の話をしても良かったのだろうけど、話を広げる自信がなかったからしなかった。

3.11を経て就職が決まったとき、アルバイトの仲間たちに話したら皆んな喜んでくれてた。当時の私はお金が無さすぎて、就職する前日までシフトに入っていて、その人もたまたま同じシフトに入っていた。その際に就職祝いとしてネクタイをもらった。同じタイミングで辞める他のアルバイト仲間たちとお揃いのネクタイだった。

緑色のネクタイ。私の好きな色は黄色だから、自分では緑色のものは選ばない。深い緑色のネクタイで、白いワイシャツに付けると映えるネクタイ。正直に言えば、好きでも嫌いでも無い人からのプレゼントだった。でも、好きでも嫌いでもない人からもらったものだからこそ大切にできるているのだろうと思う。本当の思い出は、好きとか嫌いとかで判断できるものではないから。それが当たり前すぎて、日常すぎてなかなか気付けないものだから。そういうものが1番大切に思える。割と本当にそう思っている。

だらだらと長くなってしまった。最後まで読んでくれてありがとうございます。ここまで読んでくれた誰かに良い1日を。今日も明日も明後日も良い日になりますように。

20240930

お昼、蒙古タンメン中本に行って北極を食べた。いつもビビってしまって違うものを頼んでしまっていたのだけど、今日は思い切って注文してみた。めっちゃ辛くて美味しかった。

そのあと少し時間があったから新宿中央公園まで歩いた。すれ違う人たちは相変わらず皆んな優秀そうに見えた。身なりが整っていて、健康的で、学業もスポーツも何できるようなシゴデキな雰囲気を感じた。まもなく午後1時になるというのに日差しは弱く、空は雲に覆われていた。

もう少し長くご一緒できたら良かったんですけどね、みたいなことを言われた。けれども私の中にその気持ちは無かった。私のことを褒めてくれる人もいたけれど、個人的には全然ダメダメだったから社交辞令なんだろうなと思った。そうですね、などと適当に相槌を打ってその場をやり過ごした。

帰りはタワレコに寄ってPale Wavesの新譜を買った。Blossomsの新譜も欲しかったけど売ってなかった。このあいだ買ったポケモン赤緑のサントラ、そう言えばまだ開けていなかったな。明日は少し早起きして電車に乗らなければならない。気付けば明日から10月が始まる。すっかり暗くなった帰り道を歩いていた。

いつか君に届きますように

個人的現実逃避

移動時間はいつも携帯で音楽を聴いている。散歩してる時もそうだ。いつも音楽を聴いている。現在、携帯にはだいたい150枚くらいのアルバムが入っていて、BUMP OF CHICKENのJupiterを除けば全て洋楽となる。いつもランダム再生しているのでBUMPの曲が流れると嬉しくなる。確率で言うとかなり低いはずだから特別感がある。いつも垂れ流すように聴いているから好き嫌いでスキップすることはほとんどない。例えば満員電車に乗っているときとか、無音よりも音があったほうが良い場面って結構ある。目を閉じて音楽で耳を塞がないとやっていけない。ある意味では現実逃避なのかもしれない。

これから

私はどうなるんだろう。そういう気持ちは大人になるにつれて無くなっていくものだと思っていたのだけど違うみたいだった。朝の電車で知らない誰かと誰かが喧嘩してるのを見た。彼らがどうなるのかなと思ったときに、私は彼らなのかもしれないと思った。どうにもならないし、どうにもなれないような気がした。いつか自分も大衆の場で知らない誰かと喧嘩してしまうような余裕がない人間になってしまうのだろうか。

日記について

君に向けて日記を書いている。「君」というのはこれを読むあなたであり、あなた以外の誰かでもある。でも1番は私に向けて書いている。ここには誰かが読んで読み心地が悪いんだろうなと思うことも書くようにしている。でも嘘だけは書かないようにしている。自分に正直に生きることは難しいことだと思う。だからせめて日記を書くときだけは正直でありたい。過去に自分が書いた日記を読んで懐かしい気持ちになる。たぶんそれは私に向けて書いているからだと思う。いつか君に届きますようにと思いながら日記を書いている。

友達に会いたい

そろそろ友達に会いたいと思っている。あと実家に帰って母と猫にも会いたい。最近は仕事で余裕が無さすぎて人と会えていなかった。厳密に言えば仕事関係の誰かと会って話していたりしていた。でも仕事の話しかしないし、雑談なんかする気にもなれなかった。職場に良い人は何人もいるけど、同じ空間に嫌いな人がいると話す気がなくなる。まもなく仕事の契約が切れるから、嫌いな人との接点もなくなる。だからそろそろ友達と会って話をしたい。愚痴ではなく、せめて笑ってもらえるような話をしたい。

すごくたまに

地元が嫌いすぎて上京したくせに地元に帰ろうかなと考えていた時期があった。実家に戻るのは無理だから、せめて実家に近いところで変な安い中古マンションでも買って、そこで暮らせたら良いかもなどと思っていた。まだ上京したばかりのころで、ホームシックみたいなことは無かったけどそういうことを考えていた。本当は帰りたかったのかもしれない。未だに自分で自分のことがよく分からない。

社会人になって初めて給料をもらったとき、母親に「旅行でもどうですか?」と誘ってみたことがあった。結果としてはちゃんと断られてしまったのだけど、断られるとは思ってなかったから結構ビックリした。母親も仕事をしてたから、急に言われても休みは取れないとか、実家には猫がいてその世話があるから無理とか、そのようなことを言われた。正直な話、私も旅行はあまり好きではないし、母親もそうなんだろうなと感じていたから誘いかたをミスったかもしれないと思った。結局、旅行に行って使おうと思っていたお金は昔から憧れていたジョンレノンが使っていたエレキギターを買うお金になった。そのときに地元にはもう帰れる場所は無いんだなと悟った。

でもまあ自業自得というか、なるべくしてそうなったんだろうなとは思った。母親を恨んだり、故郷を憎んだりはしていない。でも単純に悲しかったことは覚えている。今となっては笑い話だし、もしもあのとき母親と旅行に行けていたら、たぶん今は無いと思えるから、これはこれで良かったのかもしれない。そう思うようにしている、ということではなくて、本当にそう思っている。

確信めいたものではなく、なんとなく直感的にこれで良かったと思える日がある。すごくたまに、ごくわずかに。その思いだけで生きている。藁に縋るようような気持ちで。

いつも誰かが

友達が軽い脱水症状になってしまい大変だったらしい、みたいな話を母から聞いた。母の友達は朝の通勤時に急に具合が悪くなり、電車から地下鉄に乗り換える際の連絡通路でうずくまっていたのだそうだ。うずくまっていても誰も声を掛けてくれなかったらしく、落ち着いたタイミングで近くにいたサラリーマン風の男の人を捕まえて「体調が悪いので駅員さんを呼んでください」とお願いしたとのこと。そしたらその男の人は「分かりました」と言ってその場を離れ、そのあとどれだけ待っても戻ってこなかったらしい。結局、母の友達は自分で救急車を呼び、病院で点滴を打ってもらったのだそうだ。母は「酷い話だ」と言っていた。私は「朝の通勤時間帯だったから仕方ないんじゃないの、知らんけど」と感想を伝えた。母は「まあそういうのもあるよね」と言って、私は「でも自力で何とかしたんだからその友達は凄いよ」と返した。

昔、仕事で北関東のよく分からない僻地に行く機会があった。その僻地の最寄駅近くにはイオンモールがあって、絵に描いたようようなベットタウンみたいな街だった。私の田舎にもにもイオンモールみたいな商業施設があり、なんだか懐かしいような気持ちになってしまった当時の私は、仕事終わりにイオンモールに寄ってから帰ることにした。当たり前だけどイオンモールはもの凄く広いから全部を見て回るのは無理だった。1階をグルッと見ただけで疲れてしまい、近くにあったスターバックスで休憩することにした。その日はとても寒い日だったから、ベタにスターバックスラテのホットを注文した。私は窓際の席に座り、外の景色を眺めながらコーヒーを飲んでいた。

窓の前には歩道があって、その奥に車道と公園が見えた。歩道と車道の間に生えた木々たちに付いていたであろう葉っぱが枯れ葉となって地面に落ちていた。なんとなく茶色いイメージの風景だった。人通りは少なく、ふと歩道を見ると3歳くらいの男の子がパタパタと走っているのが見えた。転びそうだなあと思って見ていると、案の定転んだから少し笑いそうになった。男の子が転んだあと、すぐ後ろからおそらくお母さんと思われる人が小走りで駆け寄ってきて、男の子が起き上がるのを助けていた。窓越しだったからよく分からなかったけど、お母さんと思われる人は「泣かなかったの偉いね」みたいなことを言って男の子の頭を撫でていた。そのあと2人は手を繋ぎ、私の前を通り過ぎていった。

子供のころはいつも誰かが助けてくれた。大人になるにつれ、誰かの助けがなくても程々に生きていけるようになっていった。母の友達の話を聞いて、北関東の僻地で見た親子のことを思い出していた。私は人に優しくできてないな、みたいなことを考えていた。