金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

202601

20260102

実家に居る猫が膝に乗って甘えてきた。年寄りの猫。猫さんが近くに居るだけなのに、いつもより時間がゆっくりになったような気がした。そういう日に有り難みを感じてしまうのは、おじさんになってしまったからなのかもしれない。

20260105

自分なんか要らないんじゃないか、誰からも必要とされてないんじゃないか、みたいなことを考えていた。でもそれで良いんだ、と思うことにした。やるべきことをやるだけだ。ひとりぼっちでも良いじゃないか。

piatdeisui.hatenablog.com

20260120

駅に向かう途中、いつも道路の真ん中を走る人を久しぶりに見かけた。朝で車通りが多かったからか、道路の真ん中ではなく、歩道の端を走っていた。ロックスターのような風貌は変わらず、忙しそうに走っていた。よく見てみると、彼はサンダルを履いてるようだった。この寒い時期なのに大した物だと思った。あなたが最強、など思った。

駅に着いた私は電車を待っていた。相変わらずの混み具合に嫌気がさした。7時46分、いつもの電車を見送り、その2本あとに来た電車に乗った。

20260122

仕事関係の新年会に参加した。明けましておめでとうございます、という挨拶は、形式的で機械的な作業みたいな営みだと思っていたけれども、こうしてひとりで仕事をするようになってみると、その営みの大切さのようなものをじわじわと感じるようになった。というか、そういう礼節を重んじる人のほうが個人的に好きなだけだ。だから自分もそうありたいと思った。

お酒が進むにつれて下世話な話が多くなっていくのは大概だけど、それらへの耐性が低すぎる自分もいい加減にして欲しいといつも思う。下ネタがあったほうが場が和むのはそうだから、本当は嫌だし面白くないときもあるけど大体ニコニコ笑っておく。これも仕事のうち、と納得して思い込めるようになったことは、独立して良かったこと10選のひとつに間違いなく食い込んでくるだろう。もう十分大人だけど、大人になったなと思った。

20260127

夢を見た。子どものころ一緒に暮らしていた犬と私で、学生のときに住んでいた狭いワンルームの模様替えをしていた。「この位置にベッドを置くと北枕になるから良くない」と言う兄に対して、私は「いつも北枕だし、むしろ北枕のほうが良い」みたいな会話をしていた。犬はその辺の床でぐうぐう寝ていたくせに、私が「散歩してこような」と言った途端に飛び起きたから兄と一緒に笑った。夢から覚めて、兄も犬もあの部屋も全て失ってしまったことが寂しかった。寒すぎてベッドから起き上がれそうになかった。

20260128

今日僕の中でひとつ大きな仕事が終わった。終わったから一段落するものだろうと思っていたけれど全然そうでもなかった。でも個人的には段落を付けることができそうな感覚があったから、それはそれで良いんじゃない?と思った。確定申告の準備が滞っていることだけが現実的だった。諸々落ち着いたら友達と会いたいと思った。

だらだらと長くなってしまった。長すぎてごめんなさいと思えるほど長くなってしまった。ここまで読んでいただきありがとうございます。そして

明けましておめでとうございます。ここまで読んでくれた人の一年が、健やかで、優しくて、逞しいものでありますように。今年もよろしくお願いいたします◎

20251229

20251219

昨晩飲み過ぎたせいで二日酔いがしんどかった。午前中はお茶と水をたくさん飲み、何か食べないとダメなような気がしたので、コンビニでパンを買った。タンパク質がたくさん取れると書いてあったので、これしかないと思った。値段を見ずにレジに持って行ったら400円くらい取られたのでビックリした。食べたあと30分くらいしたら気分が悪くなって吐きそうになった。シンプルに自己管理が下手。終わってると思った。生きるのって難しい。

20251226

仕事関係の忘年会に行ってきた。ストレンジャーシングスの配信日だったから本当は行きたくなかったけど、せっかく誘っていただけた訳だし、熟考した結果いくことにした。とにかく席が悪くて、あまり面識がないおじさんたちの下ネタをたくさん聞かされてしまった。この年になっても下ネタが苦手なのはもうどうしようもないよなと思う。とにかく疲れてしまった。今日もまた生きるのが難しかった。

20251229

年末に働くのは自分くらいだろうと思っていたけれど、実際はそんなことなさそうだった。コンビニに行けば品出しやレジで忙しそうな店員さんがいたし、駅に行けばホームの安全確認で忙しそうな駅員さんがいた。彼らのように誰かのためになることが目に見える仕事は良いなと思う。駅で電車を待っているサラリーマン風の誰かの仕事も、きっと何かの役に立っているのだろう。じゃあ自分はどうなんだろうと思った。彼らと同じように電車が来るのを待っていた私はニット帽を深く被り直していた。ダウンジャケットのファスナーをいちばん上まで引き上げなら、働くことや生きることなどについて考えていた。

日々

最近、仕事でよく行くビルの近くに音楽系の専門学校がある。コンビニに行けば必ずと言って良いほど、そこの学生と思われる若い人たちが楽しそうに弁当やお菓子を選んでいるところを見かける。髪の毛を赤や青に染めたYouTuberみたいな人や、一昔前のビジュアル系バンドの亜種みたいな人もいる。もちろん普通の格好をしている人も多くいて、どちらかと言えば私は、個性がないように見えてしまう彼らのほうを好意的に感じた。派手なものだけを個性と呼ぶ訳ではないし、地味だからと言って個性が埋もれてしまう訳ではない。けれども、若いときにしかできないことは往々にしてあるはずだから、髪をピンクに染めても良いし、カラコンやシルバーアクセをつけても良い。つまり、好きなようにすれば良いということだ。

昔、音楽をやっていたときのことを思い出していた。誰かと会って何かするよりも、ひとりで音楽を作っているほうが良いと思っていた。カセットテープレコーダーにマイクを刺して、ギターを鳴らし歌を重ねた。カセットテープはやがてパソコンになって、重ね録りも4トラックから16トラックになった。できることが増えていくと共に、自分の凡庸さを感じることも多くなった。最近では、作曲の手助けやミキシングなどの音響周りもAIがやってくれるみたいだから、本当に良い時代になったなと思う。使う使わないは個人の選択だとしても、そのような手段が存在するという事実が大きな励みになるはずだから。

音楽を仕事にできる人は少ない。音楽系の専門学校に通っている学生であれば、ある程度その現実も頭に入っているだろう。名前すら知らない彼らを見るたびに思うのは、胸を張って頑張って欲しいな、ということ。どんな結果になったとしても、毎日楽しくコンビニ弁当を選んでいた日々や、そういう時間を一緒に過ごした仲間たちとの出会いは、いつか必ず君を助けてくれるはずだから。その日コンビニに居合わせた学生たち5人全員にあったかいコーヒーを奢ってあげようかと思ったけれど、さすがに意味が分からなすぎるから止めておいた。

イチョウが色づく白山通りを歩いていた。木枯らしに揺れる黄色いイチョウの葉を眺めながら、AviciiのThe Daysという曲を聴いていた。「あの日々を悔やんだりしないし、忘れることもない」そのような歌詞が胸に響いたのは、本当にその通りだと思っているからだった。もしも私がイチョウの木だったとして、木枯らしにも負けず立っていられるのだとしたら、それはきっとAviciiが歌っているような日々があるからだと思った。冷たい木枯らしを背中に受けながら歩いていた。白山通りをただひとり歩き続けていた。

元15歳

私は元15歳でした。当時から捻くれた自我を持った糞ったれでした。音楽が好きでよく聴いてました。The BeatlesOasisなどのUKロックが好きでした。もちろんアメリカのロックも好きでした。どちらも今でも大好きです。

大好きな人に大嫌いだと伝えたことがありました。そのときの私は15歳そのものでした。自分で自分を傷つけていたことも分からずに、その傷が癒えたころにまた同じことを繰り返しておりました。我ながら情けなくて参ってしまいます。愛とか愛ではないとか、正直なところよく分かりません。最早それ以外のこともよく分かりません。これまで生きてきたくせに、これから生きていく術が何も分からないのですから。

思えば15歳のころから何も変わっていないのです。当時の趣が今もなお継続しているという意味です。祖母の影響で先生の「こころ」を読みました。それ以外にも「坊ちゃん」や「草枕」なども読みました。どれも素晴らしい作品だったので酷く感銘を受けたことを覚えています。おそらく今読み返しても同じ感銘を受けることでしょう。

明治時代を生きた先生は手紙のやり取りをされていたようでした。先生が別の先生に宛てた手紙が現在も読み継がれています。私たちが勝手に読んでいるので不本意かも分かりませんが、どの手紙も切れがあって良い文章だと感じました。私も先生のように硬くて柔らかい文章を書いてみたいものです。どうすれば良いのかは自分で考えてみます。今日できなくても明日があります。明日が駄目なら明後日もあります。私は明日明後日に期待をしているのです。もしも先生が生きていたとしたら、私は何番目の弟子になれたのでしょうか。

私の15歳は転換期でした。もしも一度だけ過去に戻れるとしたら、私は15歳に戻って人生をやり直すでしょう。MDウォークマンから伸びたイヤホンを耳に突っ込んで、先生の「こころ」にまた会いに行きます。そのときに流れる音楽を想像したら、まるであのころに戻ったような心持になります。

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私はこのような長い日記をただ書いています。今のような心持があったことを後でまた確かめるために書いています。ただ書くのです。以上。

20251202

今日はYouTubeでプレミアムなんちゃらでFickle Friendsのライブ映像を見た。数ヶ月前からよく聴いていた「Happier」という曲だった。ライブ感が凄すぎて普通に泣いてしまったし、彼らが来日するときは絶対に行きたいと思った。音楽に限らず、私は周りの人たちに影響を受けながら生きているんだなと思った。彼らが作った「Happier」のように、自分も何かを作ることができたら良いなって思った。

小学生のころに聴いていたThe Beatlesの「Let It Be」のように。中学生のころに聴いていたBUMP OF CHICKENの「天体観測」のように。高校生のころに聴いていたWeezerの「The Good Life」のように。大学生のころに聴いていたThe Strokesの「Under Cover of Darkness」のように。そんなライブ感があるものを自分も作ってみたい。

昔はバンドをやっていたけれど今は一人だ。昔は会社員だったけれど今は一人だ。これから何ができるのだろう。これまで背中を押してくれるのは音楽だけだった。これからもそうなのかもしれないと思った夜だった。

える

子供のころから友達が少なくて、いつも誰かの顔色を伺いながら過ごしていた。今でも友達と呼べる人の数は少ない。こうして文章にしてみると何だか寂しい気持ちになってくる。生涯で一番の友達は誰か、と考えたときに真っ先に思い浮かんだのは「エル」という名前の犬だった。子供のころ一緒に暮らしていた雑種の中型犬で、淡い色の毛並みをしていた。クリクリとした黒い目がカワイイ女の子だったけれど、力がとても強く、散歩のときはいつも引っ張られていた。
犬夜叉というアニメが流行っていたのは、確か小学生五年生のときだったと思う。同じクラスのやんちゃな男の子が犬夜叉の真似をして誰彼構わず爪で引っ掻くという遊びをしていた。そのクラスメイトと私は一緒に遊んだりするような仲ではなかったから、いきなり近づいて頬を引っ掻かれたときは凄く驚いた。鏡を見たら薄皮がめくれて血が出そうになっていた。彼にとってはただの遊びだったのかもしれないけれど、そのときの私はすごく傷付いてしまった。

学校が終わり家に帰ると、私の頬を見た家族に「どうしたの?」と聞かれた。ちょっと転んじゃった、とか言って嘘をついたら「喧嘩でもしたの?」と聞かれたので、してないよ、と私は答えた。喧嘩をしていないことは本当だったけれど、嘘を重ねてしまったような気がして胸がいっぱいになった。
その日の夕方、いつものようにエルを散歩に連れて行った。リールで引っ張られていたのは私のほうだったから、散歩に連れて行かれたのは私のほうだったのかもしれない。散歩から帰り、水をがぶ飲みしているエルの姿を眺めながら、その日にあったことを思い出していた。訳もなく頬を引っ掻かれたこと、家族に嘘をついてしまったこと、どうしてこうなったのかを考えているうちに涙が出てきた。これだから友達が少ないのかな、みたいなことまで考えてしまった。メソメソと泣いている私に気付いたのか、エルは水を飲むのを止めて私の側に近寄ってきてくれた。エルはただ私の隣に座り、涙を拭うかのように私の頬を舐めた。私はエルをギュッと抱き寄せたあと少しだけまた泣いた。
あれから20年以上も時が経った。エルという親友はもうこの世にはいない。歳ばかり取ってしまった私は一体どれくらい優しくなれたのだろうか。あまり自信が持てない私は、夕方の歩道をひとりで歩いていた。あのころとは違ういつもの散歩道を。