身動きが取れないほどの満員電車の中でも携帯をいじっている人がいる。大抵の人はゲームをしたり動画を見たりしている。現実逃避をしたい気持ちは分かるし、私も同じだけれども、それ本当に今やらないと駄目かな?と聞いてみたくなる。私が知らないだけで、狭いところでしかできないリズムゲームがあるのかもしれない。
ある朝、いつものように満員電車に乗っていた。目の前に立っている男の人は忙しそうに携帯をいじっているみたいだった。ふと、その人の携帯が視界に入ってきたので、どんなリズムゲームをやっているのか見てやろうと思い覗き込んでみると、地図アプリで「次に行きたい場所」を登録しているところだった。どうやら隣町の植物園に行きたいらしい。植物園に行きたいと思ったことがない私と比べるなら、優しいのはきっと彼のほうだと思った。
仕事先のコンビニで買い物をしていると、近くにある音楽系の専門学校に通う学生らしき若者をよく見かける。いわゆるロキノン系(死語)のようなお洒落な人もいれば、普通の格好でギターを担いでいる人もいる。巷では、実践的でない専門学校に通うことを無意味だと言う人もいるけれど、私はそうは思わない。ちゃんと意味はある。いつか鳴らしたギターの音が誰かの背中を押したかもしれないし、いつかの創作が思いがけず自分自身を救うこともあるからだ。たとえ卒業後の進路がいまいちだったとしても、そこでの出会いや過ごした時間は、きっとその人の未来を豊かにしてくれると思うから。
私はいつも安くて良いものを探している。しかし、それらに出会う機会は少なく、大抵は安くて微妙なものか、値段相応のものが多い。結局、良いものにはそれなりの値段が付いているということを、30代半ばになってようやく気付き始めている。もちろん、高くて微妙なものも存在する。その辺りの目利きがろくに育たないまま大人になってしまった。学ばずに同じことを繰り返しては損をしたような気持ちになる。いたちごっこ、魂のいたちごっこだ。
曇り空が多い今日この頃、珍しく青い空が見えたある日の午後、ふと鈴虫が鳴いていることに気づいた。もう秋なんだなって思った。2026年の秋はどんな秋になるのだろう。コンビニの学生たちは音楽の秋になるのだろうか。いつかの電車で乗り合わせた彼は、植物園の秋になるのだろうか。私といえばどうだろうか。UNIQLOの秋、無印良品の秋だろうか。奮発の秋にしても良いだろう。結果的に良いものが手に入ればそれで良い。そんな秋にしたい。