恥ずかしいから恥ずかしいことがバレないように振る舞う。嬉しいけど謙遜とかして嬉しくないフリをする。申し訳ないとは全く思ってないけど申し訳なさそうにして少し大袈裟に謝る。感情を隠すような行動を取るようになったのはいつからだろう、みたいなことを考えている。
それは良い嘘でもあり悪い嘘でもあると思う。自分にとってもそうだし、相手にとってもそうだ。バレなければ嘘にはならないと聞く。でもたまにこの手の嘘はバレて欲しいなと思う。実はバレているときもあるのかもしれないけど、いちいち指摘しないだけなのかもしれない。我々はもう大人だから。
自分がついたことがある嘘と似たような嘘をついている人を見ると親近感が湧く。大袈裟に謝っているのに全く相手に伝わってない人や、感情を殺して冷静に振る舞っている人を見かけたとき、もしもその場にいいねボタンがあったら、とりあえず7回くらい連打してあげたくなる。
早く大人になりたいと言う子供をたまに見かける。自立心が強くて凄いなと思う一方で、もっと子供らしくワガママにしておけば良いのにとも思う。大人になんかならなくてもいいから、今しかできないことをやればいいんだよ、と無責任なことを言ってあげたくなる。でも実際は「そうなんだ偉いね」としか言えない。私は嘘つきで責任逃れで薄情な大人だから。
もしも子供の頃に戻れるのであれば、15歳くらいのときに戻りたい。戻って何をするという訳ではないけど、何となくその時期に人生が分岐したような感触があるから。それは部活や受験、人間関係によるもので、後悔しているという訳ではないけれど、今だったらもっと上手くやれるはずだと思ったりしている。でも実際に戻れたとしても、ちょっとマシになるくらいで、結果的にはあまり変わらないのかな。
誰かを励ますことも、誰かを慰めることも、何もしないほうが良いのかなと思える。かつ、何もしないことで誰かを傷つけてしまうかもしれないし、誰かを裏切ってしまうかもしれないとも思える。そのことが単純に怖いから、本当にやりたいと思える行動を取ることができない。
今これを書きながら、さっき書いたことに誤りがあったことに気付いた。なので訂正したいと思う。私は嘘つきで責任逃れで薄情で臆病な大人だ。その辺を歩いている子供たちのほうがずっと大人だ。