金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

ライ麦畑で捕まえたろか

初めてサリンジャーを読んだのは大学生のときだったと思う。当時、日本の近代文学を専攻していた私は、夏目漱石とか森鴎外とか芥川龍之介とか、そのあたりの年代の小説を読むことが多かった。単位を取るためだけに読んだ作品もあるから忘れているものも多い。単位のために過去の名作を消費していたのかと考えると、私は一体何様のつもりなのだろうと思う。

話が逸れてしまったが、当時、村上春樹が大好きな友人の薦めで「ライ麦畑でつかまえて」を読んだのだった。もちろん村上春樹訳のやつを。村上さんの独特な文体もさる事ながら、シンプルに話が面白いと思った。そしてこの作品の主題は、原題の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」に尽きると解釈している。

誰も何も言わないけど、人知れず悩んでいる人はたくさんいると思う。ヒントすら与えてもらえないのだから、それに気付ける人は才能がある人だと思う。私にその才能は無いし、芽生えそうにもない。見逃してばかりいる。

ライ麦畑の中を走ったことはないけど、だいたいの感覚はなんとなく想像できる。背丈と同じくらいまで伸びたライ麦を掻き分けて前に進む。進んでも先が見えないし、振り返っても帰路は無い。ライ麦が揺れてガサガサと音を立てる。どんな匂いがするのかだけは想像できない。

私はいつでもライ麦畑を彷徨っている。だから同じように彷徨っている人の気持ちは理解できるはずで、静寂に響くライ麦畑の音を一緒に聴くことくらいはできると思っている。

「相談して欲しい」これは言えない。なんか図々しい感じがするから。「悩んでいるなら頼って欲しい」これも言えない。上から目線のような気がして、逆に嫌われてしまいそうだ。「ライ麦畑で捕まえたろか」これは単純に言ってみたい。これならなんとなくネタっぽい感じで言えそうな気がする。

悩んでる人は悩んでることを他人に見せないように努める。かく言う私もそうである。でもバレる人にはバレるし、もしなれるなら私も見つける側の人間になりたい。そして悩める人を見つけたときに「ライ麦畑で捕まえたろか」と全力の気持ちで言ってみたい。そのあと「わしのことも捕まえんかい」とか言って笑い合ってみたい。