金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

座礁

東北の田舎から上京したのは20歳の時だった。上京前は地元でバイトをしながら通信制の大学に通っていて、ぼちぼち就活が始まりそうだったことと、ゼミに参加するため東京に通う頻度が高くなっていたので、いっそ東京に拠点を移してしまえ、という勢いのまま上京することを決めた。

家族や友人に伝えたのは上京する2ヶ月前とかだったと思う。ほぼ事後報告だったから皆んな驚いていた。お金はあるの?とか、向こうに知り合いはいるの?とか、色々聞かれたけど「取り敢えず頑張る」としか言えなかった。

両親は毎月の家賃を払うと言ってくれた。でも当時は既に20歳を過ぎていたので何となく断ってしまった。仕送りも要らないと言った。上京に掛かる引越しなど諸費用は親が払ってくれたから、その浮いた費用を1、2か月分の生活費に回すことができた。それだけで充分だと思った。

新しいバイト先を見つけるのは大変だった。高校を中退するくらいのコミュ障だったから苦戦したのだった。人と関わりが少ない身体を張った短期バイトを繰り返していて、印刷工場の業務用プリンターが止まらないように夜通し見張り続けるバイトとか、ベタだけど治験とか、そういうことばかりしていた。その頃は日銭を稼ぐような生活を繰り返していたから、水道電気ガス携帯のどれかを止められることもしばしばあった。余裕がなくていつも一杯一杯だった。お金の余裕は心の余裕なんだって学んだ。

親を頼れば良いのに、と当時の自分を振り返って思う。東京に仲の良い友達なんかいなかったくせに。携帯が止まっているのを隠して公衆電話で親に電話したこともあった。携帯を止められると着信は出来るけど発信ができない。電話を借してくれるような友達もいなかったし、公衆電話を使うしかなかった。

公衆電話に100円を入れて話せる時間はとても短くて、親に電話するときは「電波が悪くて」と嘘をついてすぐ切っていた。最低限のことしか伝えることができなくて「結構元気だよ」とか言ってた。幸いなことに、当時の私はお金が無いだけで結構元気だったから、少なくともそこだけは親に本当のことを伝えることができていた。

当時のことを思い出すとき、Stranded という曲が頭の中で流れてくる。とてもマイナーだけど Sambassadeur というスウェーデンのバンドが歌っている。

お恥ずかしながら私は頭が悪すぎて、曲名を Started と誤読していたのだった。だから「始めた」とか「始まってた」というテーマが歌われているものだと解釈していた。上京して間もなく、という状況にすごく繋がりを感じて、当時の私には大変にブッ刺さっていた。そして今でもこの曲を聴くたびに応援されたような気持ちになる。

正しい曲名が Stranded であると知ったのは、ごく最近の話だ。曲名を直訳すると「座礁」とか「身動きが取れない」みたいなニュアンスになるのだと思う。正しい曲名の意味合いを知った上で当時を振り返ると、確かに座礁はしていたように思う。今もなおこの曲が響いて聴こえるのは、あの頃と同じように座礁しているからなのかもしれない。歴史は繰り返すと聞く。あの頃の私は比較的前向きだったような気がする。今の私に足りないものを考えている。