金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

けんとう

検討

子どものころ、39度の発熱で寝込んでいた日があった。ベットの上で天井を眺めながら、このしんどい状態が大人になるまでずっと続いたらどうしよう、と不安になった。薬も飲んでるし、そんなこと有り得ないはず、と自分に言い聞かせて眠ろうとしたけど、悪いことばかり浮かんできてよく眠れなかった。次の日には何事もなかったかのように元気になったんだけど、あの日の不安な気持ちは今でも覚えている。小学校3年生くらいのころだったかな。

先のことを考えて不安になったのはそのときが初めてだったように思う。将来の夢とかは学校の先生に聞かれたことがあって、そのときは鼻水を垂らしながら「犬が好き」とか言ってた。でもそういうのではなくて、そもそもの毎日が続いていくことに対しての検討。あの日、ネガティブに考えてしまったのは熱があったからなのか、それとも性根が暗い人間だからなのか、そのようなことを考えている。

見当

こんなにも先が見えないものかと最近は驚かされてばかりいる。子供のころならまだしも、大人になった今でさえ右も左も分からなくなる日がある。発熱して寝込んだ小学校3年生の自分と何ら変わりがない。違いと言えば身長と体重くらいだ。これからのことはずっと見当がつかない。

今まで何かをしようとしてきたけど、何かをしないようにしてみようかなと考えている。食べ過ぎることとか、飲み過ぎることとか、我慢とか、遠慮とか、期待とか、嫉妬とか。そういうのは控えていこうぜ的なノリで、少しずつやっていければ良いと思う。自分にも他人にも甘くしたいけどできなくて、結局は何も大切にできないから。

健闘

誰かの健闘を祈ることはあっても、自分の健闘を誰かに祈ってもらえるとは思っていない。自分で自分の健闘を祈ることもない。だけど健闘はしたいと思っている。四つ葉のクローバーを探すみたいに、無尽蔵に散らばったネガティブの中から、ポジティブな何かを探している。

そのポジティブな何かは、四つ葉のクローバーではないかもしれない。三つ葉のクローバーですら見つからないかもしれない。でもこっそり頑張ってみる。これからのことは見当がつかないけど、それでも健闘できるように、諦めないで検討してみる。将来の夢を聞かれたときに答えられるようにしておきたい。そのときは鼻水を垂らさないように気を付けたい。