金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

ラーメンはたまにエモい味がする

私は昔からラーメンが好きで、学生の頃は毎日のように食ていた。厳密に言えば、当時の私はあまりお金を持っていなかったから、本当に毎日ラーメンを食べていた訳ではない。でもそれくらい食べる頻度が多かったことは事実だ。

と言うのも、当時やっていた肉体労働のアルバイト先に気前の良い先輩がいて、いつも奢ってもらっていた。ラーメンだけでなく、居酒屋などにもよく連れて行ってくれたし、着なくなった洋服をくれたりもした。

ちなみに、当時の私は確かに貧乏だったが、先輩に奢ってくれと頼んだことは1度もない。それでも先輩は私のことを気にかけてくれ、とても良くしてくれた。上京して間もなく、何をするにもひとりぼっちだった私にとって、そのアルバイト先の先輩だけが唯一友達と呼べる存在だった。

先輩も当時は学生で、年齢は1個上だが学年としては同期だった。私は1浪していて先輩は2浪していたのだった。全日制の私立大学に通っていたから、お金がないことは先輩も同じであったはずなのに、どういう訳だか本当によく奢ってくれた。なかなか出来ることではないと思う。

先輩はよく「自分が先輩にしてもらったことを後輩に返しているだけだ」と言って笑っていた。私は学校生活が苦手で避けてきた性分で、スポーツもあまり熱心にはやってこなかったため、先輩後輩の在り方についてはよく知らなかった。その先輩との交流を通して、先輩と後輩はこうあるべきだ、みたいな概念をほぼ鵜呑みのような格好で自分の中に落とし込んでいったのだった。

加えて先輩は優しかった。居酒屋では店員さんの様子を伺いながら、落ち着いたタイミングを見計らって注文していたし、道端で売っているビッグイシューを頻繁に買うような人だった。誰にでも優しくするのではなく、優しくすべき人に優しくしてしているように見えた。田舎者だった私はその姿を見ながら、東京にも優しい人がいることを知った。

大学を卒業して就職してからも先輩とは定期的に会っていたのだが、コロナ禍より少し前から会えてない。仕事の関係で西のほうに引っ越してしまったからだ。忙しい日々を過ごしているみたいだけど、元気だったら良いなと思う。

社会人になって、少しだけ値段が高いラーメンを自分のお金で食べられるようになった。奢られてばかりだった私も、後輩たちにラーメンを奢れるようになった。いつか先輩が自分にしてくれたように、後輩たちには無条件で優しくしたい。ラーメンはたまにエモい味がする。私の好きな食べ物のひとつだ。