金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

迂闊に映画は見れない

最近すぐ泣いてしまう。本を読んでいても泣いてしまうし音楽を聴いていも泣いてしまう。視覚的にも聴覚的にも情報量が多い映画なんか当たり前のように泣いてしまう。迂闊に映画は見れない。

映画はやはり映画館で見たいと思う。空いている映画館は落ち着くし、混んでいる映画館もお祭りみたいで楽しい。映画館が混んでいるとき、私はつい余計なものを買ってしまう。アイスコーヒーで十分なのに、いつもと違う期間限定のフルーツソーダみたいなものを買ってしまう。そのソーダの多くは、ほんのり甘いだけでフルーツの味は薄い。それでも割と満足した気分になれるのは、味ではなく体験にお金を払っているからである。

最近はあまり映画館に行けていない。忙しいフリをしている訳ではなく、単純に情緒が不安定すぎてどんな映画を見ても泣いてしまうから行かないようにしている。余程の見たい理由がない限り、サブスクなどで配信されるのを待つことにしている。映画館で号泣することは個人的に結構恥ずかしい。涙ではなく鼻水が特に厄介で、ぐずぐずと音を立てしまうので周りの人に申し訳ない。周囲のリアクションも込みで映画を楽しんでいるような玄人が通う映画館は少ない。だから今は映画館に行くのを控えている。

だけど、そろそろまた映画館に通いたいなと考えている。映画館で見たい映画があるし、玄人が通う映画館だって探しに行きたい。あの人もこの人も泣いている、みたいな映画館を見つける旅に出たい。

映画館で映画を見るとき、私はエンドロール含め最後まで全部見るようにしている。余韻に浸りたいという気持ちと、単純に暗い中で移動するのが怖いからそのようにしている。エンドロールを見ていると、本当にたくさんの人たちが映画に関わっているんだなと理解できる。いつか自分も映画を撮ってみたいなと考えることもあるけど、こんなに大勢の人たちを統括することなんかできる訳ないし、エンドロールで自分の名前が流れてくることなんか一生ないだろうと思う。映画は見るものだな、みたいなことを考えながら、気の抜けたフルーツソーダを飲むだけだ。

私はエンドロールが終わって明るくなった映画館がちょっと好きだ。帰りの支度を済ませてから席を立つ人もいれば、すぐ席を立つ人もいる。いつも私はぼーっとしながら皆んなの様子を眺めている。みんな同じ理由でここに来て、ついさっきまで同じ映画を見ていたはずなのに、それぞれ何も言わずに別々の場所に向かって歩き始める。この光景が映画そのものだなと私は思う。そして私は帽子を深くかぶり、少し俯きながら席を立つ。映画館が明るくなってもなお、また泣きそうなっていることがバレないように。