金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

おーい中村くん

初めてのアルバイトは17歳のときだった。スーパーマーケットの精肉担当として牛豚鳥の生肉を切って売場に並べたり、その他加工食品などの受発注をしたりしていた。

高校は1年生の秋に辞めていたので、時間には余裕があったから、朝7時からフルタイムで8時間程度働いていた。今考えると驚くような話だが、当時の時給は700円だった。東北の田舎だったこともあるのだろうけど流石に安すぎる。だけどこれは平成のころの話だ、時代は変わっていくものなのだなと感じる。

とは言え、割と楽しく働けていたことは事実だった。生肉を切るのがあまり好きじゃなかったけど、諸々の受発注作業は結構好きだった。たまに食品メーカーの営業さんが挨拶に来てくれて、ついでにどうぞ、と言って渡される新商品のサンプルを楽しみにしていた。サンプルは主にウィンナーなどの加工食品が多かった。当時はいつもお腹が空いていたので、大変に有り難かったことをよく覚えてる。パブロフの犬よろしく、その営業さんが来るたびにちょっとお腹が空くような感覚もあった。

今になって思えば、早朝から少年が働いているスーパーも珍しいだろうから、一緒に働いていた同僚たち以外の人も何かと気に掛けてくれていたのだろう。当時の私はその自覚もなく、ウィンナーなどの食べ物に飛びついていたのだから、本当に子供すぎて恥ずかしくなる。

精肉担当としての作業は、同じく早朝から働いていたシモヤマさんというパートのおばちゃんから教わった。シモヤマさんは肝っ玉母さんを絵に描いたような見た目をしていて、いつもお金が無いと愚痴っていた。彼女はよく「仕事は適当なくらい丁度良い」とか「たまには手抜きでも良いんだよ」と言って指導してくれた。働くこと自体が初めてだった私は、素直にその言葉を受け取り、可能な限り実践していた。たまに社員さんから怒られることもあったけど、どれくらい手を抜いて良いのかを感覚的に学ぶことができた。そのときに掴んだ感覚は恐らく今でも活きていると思う。

シモヤマさんは「おーい中村くん」という歌を仕事中によく歌っていた。そしてそれは替え歌であることが多かった。というのも、仕事でミスした人に対しての叱咤激励のようなもので、例えばタカハシさんという人がミスしたときには「おーい、たっかはっしくーん」と歌うのだ。そして、その歌を聞いたタカハシさんは申し訳なさそうに俯き、周りの皆んなはドンマイ的なノリで笑い出すのだ。(なお「おーい中村」はYoutubeで聴けるのでもし興味があれば冒頭部分だけでも聴いてみて欲しい)

私はこのシモヤマさんの歌が大好きだった。間違えること自体は褒められるようなことではないけど、もし間違えたとしてもシモヤマさんの歌でみんなが笑ってくれるかも知れない。そう考えると気持ちが少し軽くなるのだった。

私の中にある仕事に対する姿勢は、シモヤマさんからの影響を強く受けている。まだ仕事中に歌う勇気はないけど、いつか私も歌えるようなりたい。いつかシモヤマさんがやってくれたように、誰かの気持ちを軽くできるように。おーい、なっかむっらくーん、つって。