金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

良いもの

頑張っている(はずの)知人と会いたいなと思っている。でも何も頑張っていない私みたいな風情が声を掛けても良いのだろうかと悩んでいる。私のことはもう忘れている可能性すらある。だから躊躇している。

私は悪口を言う人があまり好きではなくて、ディスみたいな軽いノリみたいなやつでも何か嫌だなと感じる。あの人はあーだ、この人はこーだ、みたいな話が好きな人は多くて、それはそれで別に良いんだけど、私がいないときにやってくれないかなといつも思う。私の悪口で盛り上がってくれて構わないから他のところでやって欲しいと思う。

私が会いたいと思っている知人は、悪口を言わない人のように見受けられた。その知人が悪口を言う人に絡まれているのを見かけたことがあって、「あの人のことどう思う?」みたいな悪意のある質問に対して「実はあまり他人に興味が持てない性分でして、よく分かりません」と知人は答えていた。申し訳なさそうな顔をしながら話す知人を見ながら、悪口の避けかた上手すぎだろ、と思った。もしかしたら他人に興味が持てないことは本当のことなのかもしれないけど、悪口を言う人よりは何倍も好感が持てるなと思った。

Claud というアーティストの A Good Thing という曲を聴いている。ミュージックビデオも面白くて可愛い感じの動画だから Youtube で何回も見てしまう。ちなみに、その動画には MCUアントマンを演じているポール・ラッドさんが出てるからちょっとお得感がある。

もしも我々が良いものを放っておいたらどうなるんだろうね。壊れていないのだから直そうとしちゃダメだよ。我々なりの答えを探してはいるけど、全然分からないや。そのようなことが歌われている。

そもそも私は知人との関係性を何も築けていない。連絡先は知っているけど友達と呼べるほどの親密さが無いから、この記事の中でも知人と書き表している。よく考えてみれば我々の間には何もないのだった。これから「良いもの」にすることもできるし「良くないもの」にすることもできる。このまま何もないままで放っておくことが1番良くないと思う。

その答えが「良いもの」でなくても別にいいじゃないか、と自分に言い聞かせている。だけどもう1人の自分はまだ躊躇していて、メッセージ送信のボタンを押せないまま、この記事を書いている。良いものを放っておいたらどうなるんだろうね、と音楽は繰り返している。あともう少しだけ時間が掛かりそうだけど、私は大丈夫だと思う。