金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

20240315

一緒に働いている人から朝イチで電話が掛かって来て、退職すると聞いたから連絡したとのことだった。私の退職の件は、ぼちぼち裏で周知されていってるみたいだ。

電話をくれた人は、現場責任者のような役割を担っている。だから、いま抜けられると困るだとか、勘弁してくれだとか、小言を言われるんだろうなと思っていたけど「個人が決めたことについて、とやかく言うつもりはない」とのことだった。むしろ協力的な印象で、一緒に引き継ぎのことを考えてくれるみたいだった。そういうフォローは一切期待してなかったら驚いてしまった。

電話の向こうであれこれ話しているのを聞いていたら、いろいろと私のことを考えてくれているみたいだった。「残る人のことは考えなくて良い」みたいなことも言ってくれた。その人が親身に寄り添ってきてくれたことが何となく有難く思えて、少し泣きそうになってしまった。こちらからも考えていることを伝えなくては、と思ってはいたんだけど、言葉が上手く出てこなかった。「はい」とか「そうですね」みたいな合槌で間を埋めることしかできなかった。

ちゃんと引き継ぐから穴を開けるつもりはない、みたいなことも本当は言いたかった。でも言えなかった。辛うじて「やれることは全部やるつもりです」と伝えたけど、その人は「うん、そうか」としか言ってなかったから、私の気持ちはあまり伝わってなさそうだった。こんな感じで本当にやっていけるだろうか。ちゃんと独立できるのだろうか。

今日はすこく天気が良くて、ほとんど春みたいな気候だった。たまに向い風が吹いて、少し寒いなと思った。でもその風はすぐ止んで、また太陽の光で温かくなった。3月はもう半分が終わろうとしている。あと数ヶ月の間で私にできることは何だろうか。発言には責任を持ちたい。私は本当にやれることを全部できるのだろうか、みたいなことを考えていた。

20240313

会社のビルに入るときに使う入館カードみたいなやつを入れるストラップが支給された。ストラップには思いっ切り会社名が書いてあって、これを付けて歩いたり外出したりするのは恥ずかしすぎて無理だなと思った。周りの人にそのことを話したら、気にしすぎだと思う的なことを言われて、え?と思った。皆んな特に違和感なく使っているみたいだった。無言のセールスマンよろしく「私はこの会社に属してます」みたいな主張を意図せず発信してるみたいで気持ち悪いなと思った。そういうことを考えてしまう時点で、私は本当に会社員には向いていないのだろうなとも思った。

近所のスーパーにほぼ甘くないぶどうジュースみたいな赤ワインが売られていて、最近それをつい買って飲んでしまう。赤ワインは自分の体質と合っていて、あまり次の日に残りにくい感じがするからつい飲みすぎてしまう。

お酒を飲みながらユーチューブを見ていた。東京のおすすめランチ5選みたいな動画。それを見ながら「あーこの店にはあの人と行きたかったな」みたいなことを考えてしまって、我ながら過去に生きすぎているなと思った。自分でも「あの人と行きたいな」みたいなことを考えながら見るんだろうな、と思いつつ動画を再生したけどそうはならなかった。

人を好きになることもあるけど、嫌いになることもある。個人的には後者のほうが多いから、前者を大切にしたいとは思っている。嫌いな人にも嫌われたくないとか思っているから、私は疲れてしまうのかもしれない。今後そういうのはやめていきたい。でもなんか出来ないような気もする。

くしゃみしたら左ふくらはぎがつった日

を忘れないようにしたい。その日は友達と飲みに行った。楽しい夜だった。

その友達と私は同い年で、同い年だけど別々の人生を歩んでいる。友達は結婚をしていて子供が2人いる。一方で私は結婚もしてなければ子供もいない。私は仕事のことで悩んでいるけど、友達は仕事のことで悩んでいる暇はないとのことだった。全然それで良いと思った。全然それで良いと思いたいだけだった。

良い夜であったことに間違いはなかった。真剣な話もしたし、くだらない話もした。物理的にほぼ同じ量の時間を過ごしていること以外、我々の間にある共通点なんか何も無いんじゃないかと思えるほど、それぞれが話す話題の毛色は異なっていた。それでも何故か話が噛み合ってしまうことが不思議に思えてならなかった。

2件目のお店に移動するときに「キャッチ選手権」という遊びをした。話しかけてきたキャッチの人の話を聞き、そのプレゼンテーション力を評価するという遊び。話を聞くだけですよ、という前置きを了承してくれたかたを対象とした大会なので、性格が悪い遊びであることは大目に見て欲しい。

そして、その大会に参加してくれた優しい人たちの中の1人に対し、私は余計なことを言ってしまった。そのことを深く反省している。「俺の給料は下がるけど、来てくれるならサービスします!」と言ってたから「赤の他人ために身を削りすぎだと思う。もっと自分の仕事にプライドを持つべきだ。感覚が違いすぎるからあなたの店には行かない」などと言ってしまった。出会って数十秒の人だったのに。もっと別の断りかたがあったでしょうに、と我ながらに思う。自分自身に対していい加減にして欲しいなと思いながらこの記事を書いている。

人間は子供を持つことで初めて人間に成るのだ、みたいなことをたまに聞く。子供がいるほとんどの人がそう言っているのだから、恐らくきっとそういうことなのだと思う。自分以外のために生きてこそ、本当の意味での譲歩とか妥協とかを覚えていくのだと思う。友達も、その日傷つけてしまったキャッチの人も、人間に成った側の人間なのだろうな。私とは違って。

くしゃみをすると結構疲れる。普段使わない筋肉を使っているような気がする。たまに何回もくしゃみが出るときがあって、反射的に出るものだから止めようがなくて困る。帰り道、駅の階段を登っているときにくしゃみをしたら左ふくらはぎがつった。私という人間は、一体どういう構造をしているのだろう。そんな疑問で頭がいっぱいになった。

それはそのころからずっと今もそうだ

1日に何時間でも眠ることができたの大学生のころまでだった。当時は寝ても寝ても寝不足のような感覚があった。だけどある時から就職活動が始まり、何も上手くいかない毎日が続くようになってからは、あまり長く眠ることができなくなった。単純に明日が来るのが怖かった。

2、3時間の間隔で目が覚める。目が覚めないときでも5時間くらいしか眠ることが出来ない。それはそのころからずっと今もそうだ。眠ること自体はできているから特に気にしていなかったのだけど、周りの人にこのことを話すと心配される。どうやら普通のことではないらしい。

4、5年くらい前に色々試したことがある。寝る前は携帯を見ないようにするだとか、お風呂で身体を温めるだとか、ネットに落ちてるベタな対策はほとんど試したと思う。だけど効果は無かった。

おそらくメンタルのほうに問題があるのだろうと推測している。だけど病院に行ったりはしていない。実際のところ、このことについてあまり危機感を持っていない。周りから少し心配されたから、あり物で治せるか試しただけだった。他人から見たら壊れているように見えるのかもしれない。でも本人としては割と普通だったりする。あまり気にしないことに決めたのだった。ショートスリーパーてなんかカッコいいし。

今になって思えば、就職活動が上手くいかなかった時期と3.11が重なったことも要因のひとつだったと感じる。これからどうなっていくのだろうという不安が心に刻まれてしまったのかもしれない。あのときに見たニュースの映像は衝撃的だった。自分は東北の出身だからか、ある程度時間が経った今でもあのときのニュースを直視することができない。

幸いなことに、自分の周りの人たちの命に別条はなかった。でも、子供のころによく家族と一緒に遊びに行った公園やそこに行くまでの道路などが跡形もなく消えてしまった。在るのが当たり前すぎて写真も撮らないような場所だった。懐かしいと感じる場所や風景が物理的に何も残っていない。なんて寂しすぎるのだろうと思ったし、今でもそう思っている。

途中覚醒の要因については見当が付いている。ほとんどトラウマに近い状態だけど、貴重な経験から得たものであると最近は少し思えるようになった。それら経験を含め今の自分だと思っている。今後、この考えは変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。無理して変えようとは思っていないけど、いつか個性として浄化できる日が来れば良いなと思っている。

20240309

昨日から久々の連休で何もすることがない。シンプルに疲れすぎて何もする気が起きないというのもある。でも昨日は髪を切りに行ったし、巷でつまらないと酷評されている映画も見に行った。「マダムウェブ」と言う映画。普通に面白いと感じてしまった僕は、映画の批評家には向いていんだろうな。

いま思っていることがいくつかあって、全然まとまってないけどメモ帳に書き出してみた。例えば、他人と話すことで気付かされることがあるよね的なことや、昔お父さんが言ってたことをふと思い出して懐かしい気持ちになったこと。スナックに行ってみたくて、中島みゆきさんの「悪女」とかスナックのカラオケで歌えるような曲を覚えようとしていることなど。とにかく色んなことをメモ帳に書き出してみた。文量としてはそんなに多くなかったけど、今日も自分は色んなことを考えながら生きていたんだなと思った。

ブログに何かを書くとき、今日起きたことを書くよりも今日考えていたことを書くほうが僕的にはやりやすい。そして今日だけ考えていることってあんまりなくて、さっき少し書いたこととかは昨日も一昨日もそれより少し前の日も考えていた。そういうのをちょっとずつ作文するほうが僕には合ってる。だから毎日ブログを更新してる人は本当に凄いなと思う。

何もすることがないと、ちょっと前まではお酒を飲みながら映画とかを見がちだった。でも今は作文をしている訳だから、これはもう趣味の領域に入っているんだと思う。今日は新しい趣味に気付いた日だった。何もない1日だったけど悪い日ではなかった。

愛嬌

だけで生きてる。2、3ヶ月一緒に過ごせば「あ、そうだよね」みたいな感じで分かってもらえるんじゃないかと思えるほど、それに特化しているという自覚がある。それくらい私は愛嬌だけ生きている。

私は自分のことが嫌いで自己肯定感も低い。顔も声も手も足も、体の部位それぞれに嫌いなところがある。性格も抜けているところが多いし、どちらかと言えば薄情なヤツだと自分では思っている。

それでもなんとか今日まで生きてこれたのは、きっと周りのおかげなんじゃないかなと最近は思う。なんだかんだで許されてしまうから。初めてスーパーマーケットでアルバイトをしたときも、要領良くやれてはいなかったはずだけど皆んなが助けてくれた。非力のくせに肉体労働のアルバイトをやっていたときも、先輩後輩関係なくみんなが助けてくれて、あまり使えないほうだったはずなのに何故か許されていた。

それは、良く言えば愛嬌があり、悪く言えば八方美人だったからなのかな、と振り返って思う。敵を作らないように、当たり障りがないように、誰かの顔色を伺いながら生きてきたから。

今の職場だってそうである。決して手を抜いている訳ではないが、だらだらとやる気がない状態で仕事をしていても特に何も注意されない。もしかしたら裏で何か言われているのかもしれないけど、裏でやってもらう分には構わない。私目線で職場の人間関係は悪くないから。

そういえば今までの人間関係で変な人に出会った経験がほとんどないかもしれない。なんとかハラスメントをしてくるとか、嫌味を言ってくるとか、そういう嫌な体験をしたことがない。厳密に言えばあるにはあるんだけど、まあ許容範囲というか、すぐ忘れられる軽いものしかない。

考えかたが独特とか、不思議な感じとか、誰にでも柔らかい(?)とか、そのようなことを人からよく言われる。他人が私をどう見ているのかは分からないけど、比較的ポジティブな意見が多いことは、愛嬌があるからということで理解している。まあネガティブなことを本人に伝えるのってあんまりないか。

目が大きくて羨ましい、とかもよく言われる。仕事で褒められたことは全く覚えてないけど、見た目を褒められたことはよく覚えている。もしかしたら私はナルシストなのかもしれない、その自覚がないだけで。

最近はブログを書くことが楽しい。自分でも知らなかった自分を知ることができるような気がする。私は自分のことが好きなのかもしれない。でもそれを認めることはまだできそうにない。自分を好きになれる要素がひとつもないから。自分ひとりでは何も生み出すことができない出来損ないの私だから。

野良のイーブイ

私はこれまで「断ったら嫌われるかもしれない」という謎の基準で仕事を引き受けるか否かを判断してきた。それは自己犠牲のような美しい心掛けみたいなものではなくて、単純に自分軸がなかっただけの話である。いま振り返ってみると、仕事を断ることで嫌われる可能性があったのは、おじさんたちばかりだったように思う。おじさんに嫌われることくらい別に大したことでもないと言うのに、今までの私は何をそんなに恐れていたのだろうと不思議に思う。少しくらい自分の都合を優先しても良さそうな場面もあったなあと思う。

新卒入社の若い社会人をポケモンで例えるのであればイーブイだと思う。様々な経験を経て(場合によっては経験がなくても)、任意のタイミングで進化することができる。最初はノーマルタイプだけど、それ以外のタイプになることができる。

気を付けないといけないことは、単純にレベルを上げるだけではいつまでも進化できないということ。特殊なアイテムを使ったりしないと進化することはできない。そのことを知らなかった私は未だにイーブイのままだ。周りの皆んなは素敵なポケモントレーナーと出会い、サンダースとかシャワーズとかブースターなどに進化したみたいだ。けれども私は野良のイーブイのままで、未だに草むらを駆けずり回っている。

やはり自分軸が無かったのだった。腹を括れていなかったのだった。ポケモントレーナーと出会っても逃げてばかりいた。イーブイマスターボールを使うポケモントレーナーなどいる訳がなく、出合頭にポケモンボールをぶつけられた私は、ポケモントレーナーではなく打撲をゲットして終わっていた。

仕事に対する向き合いかたが甘かった。将来を見据えた行動ができていなかった。そのことに最近ようやく気付いて、今まさに反省している途中なのである。回りくどい表現になってしまったけど、この記事ではそのことを書きたかった。

余談だが、もしなれるのであればシャワーズになってみたい。青くてかっこいいから。だから「みずのいし」を買いにタマムシデパートまで行かないといけない。もし可能であれば、草むらではなく普通の道を通って。