金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

愛嬌

だけで生きてる。2、3ヶ月一緒に過ごせば「あ、そうだよね」みたいな感じで分かってもらえるんじゃないかと思えるほど、それに特化しているという自覚がある。それくらい私は愛嬌だけ生きている。

私は自分のことが嫌いで自己肯定感も低い。顔も声も手も足も、体の部位それぞれに嫌いなところがある。性格も抜けているところが多いし、どちらかと言えば薄情なヤツだと自分では思っている。

それでもなんとか今日まで生きてこれたのは、きっと周りのおかげなんじゃないかなと最近は思う。なんだかんだで許されてしまうから。初めてスーパーマーケットでアルバイトをしたときも、要領良くやれてはいなかったはずだけど皆んなが助けてくれた。非力のくせに肉体労働のアルバイトをやっていたときも、先輩後輩関係なくみんなが助けてくれて、あまり使えないほうだったはずなのに何故か許されていた。

それは、良く言えば愛嬌があり、悪く言えば八方美人だったからなのかな、と振り返って思う。敵を作らないように、当たり障りがないように、誰かの顔色を伺いながら生きてきたから。

今の職場だってそうである。決して手を抜いている訳ではないが、だらだらとやる気がない状態で仕事をしていても特に何も注意されない。もしかしたら裏で何か言われているのかもしれないけど、裏でやってもらう分には構わない。私目線で職場の人間関係は悪くないから。

そういえば今までの人間関係で変な人に出会った経験がほとんどないかもしれない。なんとかハラスメントをしてくるとか、嫌味を言ってくるとか、そういう嫌な体験をしたことがない。厳密に言えばあるにはあるんだけど、まあ許容範囲というか、すぐ忘れられる軽いものしかない。

考えかたが独特とか、不思議な感じとか、誰にでも柔らかい(?)とか、そのようなことを人からよく言われる。他人が私をどう見ているのかは分からないけど、比較的ポジティブな意見が多いことは、愛嬌があるからということで理解している。まあネガティブなことを本人に伝えるのってあんまりないか。

目が大きくて羨ましい、とかもよく言われる。仕事で褒められたことは全く覚えてないけど、見た目を褒められたことはよく覚えている。もしかしたら私はナルシストなのかもしれない、その自覚がないだけで。

最近はブログを書くことが楽しい。自分でも知らなかった自分を知ることができるような気がする。私は自分のことが好きなのかもしれない。でもそれを認めることはまだできそうにない。自分を好きになれる要素がひとつもないから。自分ひとりでは何も生み出すことができない出来損ないの私だから。