金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

君は明後日もいない

優秀な人だったはずなのだけど、早々に職場を辞めていった人のことを思い出していた。コンサルタントになると言って辞めていったのはもう半年以上も前の話で、今頃はきっと別の場所で活躍しているのだろうな。

その人が会社を辞めるとき、一緒に昼ご飯を食べに行った。本当はもっと一緒に頑張れたら良かったのだけど、仕事上の絡みも少なかったし、私に何か言われたところで心変わりなど起こる訳がないと思ったから、引き留めることも引き留めないこともしなかった。本当にただ食事をして、ただ解散しただけだった。「いつか飲みにいきましょうね」みたいな話もしたけど、残念ながらその日はまだ来ていない。そしてたぶんこの先も、その日が来ることはないと思う。

今は少しだけ、辞めると決めたその人の気持ちが分かるような気がするのだった。ここにいても仕方がないというか、忙殺されるだけで身にならないというか、ランニングマシーンの上で走っている時みたいに、体は動いているけど前進していないような気持ち。しかもこの職場には「来るもの拒まず、去るもの追わず」ではなく「来るものを拒み、去るものを目の敵にする」という謎の文化があるように思う。最後にその人と話していたとき、漠然と憤りみたいなものをその人から感じたのだけど、きっとそういうところから来ていたのかもしれない。

君は明後日もいない。来週も再来週も当然いない。その人がいなくなった職場で、私はそのようなことを考えていた。組織はその人がいなくなったあとも問題なく回り続け、私はさらに寂しい気持ちになった。もしも私がここからいなくなったとしても、きっと同じことなんだろうな。そう考えると、もはや私がここにいる理由なんかひとつも無いんだろうな、と素直に思えた。

その人に「いつか飲みにいきましょうね」と言ったのは私のほうからで、社交辞令ではなくて本当にまた会いたいと思ったからそう言ったのだった。でもたぶんその気持ちは伝わっていなくて、社交辞令として流されてしまったのだと思う。だからそのいつかが来ることはたぶんない。

とても悲しいことだと思うけど、仕方がないことだとも思える。もしも私たちが学生のときに出会えていたなら、今よりもましな関係性になれていたのだろうか。私たちに来る違う明後日もあったのだろうか。この出会いには一体どんな意味があったのだろうか。影響を受けたような気になっているのは私のほうだけなのだろうか。