金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

きどあいらく

誰かと雑談をしていると思う。笑ってくれる人はいるけど、それ以外の感情を表現してくる人は少ないよなと。私もそうだから別に構わないし、それで良いとは思っている。

怒ってる人はよく見かける。誰かが誰かに怒っている姿を至る所でよく見かける。新宿駅とかでは茶飯事な気がする。母数が多いから当たり前のことなのかもしれない。どうしてもエンカウントしてしまうマドハンドみたいな感じ。仲間を呼んで増えるところもよく似ていると思う。

悲しんでいる人はインターネットでよく見かける。それを悪いことだとは思わないし、むしろ感情表現の場があるのことは良いことだと思う。中には悲しんでいるフリをしているだけじゃね?と感じる人もいるけど、それはそう思ってしまう私の落ち度である。でも本当にそういう真似事みたいなものはあまり好きではない。気持ちが入っていない言葉が伝わってしまうことがたまにあって、そういうときはなんか悪いことをしてしまったような気持ちになる。同情という名目でついた嘘は信頼を得やすいぶんタチが悪いと思うから。

楽しそうにしてる人はたまにいるけど、やっぱり数としては少ない。嘘でも楽しそうにできる人は本当にすごい人だと思う。学生のころ、いつも明るくて誰とでも仲良くできる先輩が「自分はただのピエロだ」と言っていた。今でも私はその人のことをちょっと尊敬している。あと「楽」という言葉にエッチみを感じるのは、たぶん私だけだと思う。

ネガティブな感情だって表に出して良いはずなのに、いつからかそれらを隠すような私になってしまった。映画とかアニメとかでよく泣いてしまうのは、視覚的または聴覚的あるいはその両方の刺激によって、普段抑えている喜怒哀楽すべての要素の防波堤が崩れて、それらが津波のように押し寄せてきて飲み込まれてしまうからだと思う。

人は怒ってもいいし泣いてもいい。当然笑ってもいいしエッチでもいい。表現することは難しいことだけどやっていきたい。結局、私には信念なんか何も無くて、中身も薄っぺらすぎるから嘘とか本当とかの次元にすら至らないかもしれない。でも誰かを傷つけるようなことはないようにしたい。そこだけは気をつけてやっていきたい。