金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

健康と老後

この前、仕事関係の人たちとの飲み会があった。向こうからすると私はお客さんで、冗談混じりで接待だと言っている人もいた。社会人っぽく言うなら会食とでも言うのだろうか。でも私からすると普通の飲み会だった。

年齢層が高くて主に40代後半から50代前半の人が多いみたいだった。私の前に座ってた男性は若い感じがしたけど50代とのことで「老後のことを考えると悩みが絶えない」と言っていた。その隣に座っていた女性も50代らしく「昔に比べると体調を崩しやすくなった」と言っていた。すると私の隣に座っていた韓国出身の男性が「40代後半を過ぎると健康と老後のことしか話題が無いんですよ、日本も韓国も同じですねえ」と言って笑っていた。奥の席にいた大人しそうなおじさんも不健康そうに笑っていた。人間の生理現象に関する話題は、やはり引きが強いみたいだ。

私は音楽が好きで、子供のころからずっと何かしらの音楽を聴き続ける。その習慣もいつか無くなって、健康と老後のことしか考えられない頭になってしまうのだろうか。映画を見ることや散歩することも好きだけど、いつかそれらにも飽きて「あの頃は良かった、何よりも自由だったから」みたいなことを誰かに話して、謎のマウントを取るような卑しい人間になってしまうのだろうか。

現時点で、子どもの頃になりなくなかった大人になってしまっている。この先も避けたかった未来が待っていそうな気配がある。生きることがこんなにも難しいことだなんて思ってなかった。

健康と老後のことだけしか話さなくなった私の姿を具体的に想像してみた。不健康に痩せ、金銭的な貯えもなく、語ることといえば不幸自慢くらいで、いよいよ本当に悲惨だと思った。不憫だとも思った。でも、もしもそうなったとしても、会食の場に馴染めない大人しそうなおじさんを笑顔にできるのであれば、それはそれで別に良いんじゃないだろうか。いや、良くはないか。

せめて笑い話にしたいと思う。不幸自慢とかではなくて、笑えるような話にしたい。そしてその話の大枠は、このブログに書いて整理したい。

音楽映画散歩に限らず、全てのことに飽きてしまうのかもしれない。そうなったときに備えて、ひとつだけでも良いから笑える話を準備しておきたい。このブログは、私から私に宛てた遺書みたいなものだ。遺言ではなく、置き手紙みたいなものだ。