金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

その人と同じ苗字だった

今の職場には尊敬できる人がいない。マジで1人もいないかもしれない。それは何故なのだろうかと考えている。尊敬することができない私のほうにも問題があるのだろうか。これまでに尊敬できた人はどんな人だったのか、少し振り返るためにこの記事を書くことにする。

真っ先に思い浮かんだのは、ある案件で一緒に仕事をした協力会社の人だった。その人はマネジメントに強みがある会社から案件に参画していて、仕事ができるだけでなくコミュニケーション能力も高いスーパーマンみたいな人だった。誰に対しても平等に接していて、当時まだ新人だった私に対しても丁寧な敬語を使ってくれた。私が何かできるようになったときには一緒に喜んでくれる優しい人だった。

奇しくも私は、その人と同じ苗字だった。苗字が同じでもこんなに違うのか、なんてことを先輩に言われたこともあったけど、全く嫌な気はしなかった。なぜなら本当のことだったから。そうですよね分かります、とか言って先輩と一緒に笑うことしかできなかった。負けて当然というか、別次元すぎて勝負にすらならない感じ。その案件が終わって以降、その人との関わりは一切ない。一緒に仕事をした期間は1年にも満たないけど、その期間以上の良い刺激をもらったように感じている。

これまでに尊敬できた人は、その人以外思い浮かぶ人はいなかった。仕事を通してたくさんの人と出会ってきたはずなのに。これはもう私のほうに非があるのではないかと思う。無意識のうちに他人を見下してしるのだろうか。類は友を呼ぶという諺のとおり、私の周りには私のような人しかいないということなのだろうか。唯一出会えたその人の存在が晴天の霹靂のように思える。

でも尊敬はしてあげるものではないはずだから、これはこれで間違いではないはずだ。だからこそ出会いを大切にしたいと思える。昔、何かの本で「人生の時間は限られているから、関わる人はピックアップしたほうが良い」みたいな話を読んだことがある。最近でもYouTubeでそのようなことを発信しているショート動画を見かけた。都合が良いように解釈しているだけかもしれないけど、何かが腑に落ちるような感覚があった。

てか尊敬される側になっちゃえば良いんじゃね?と思う。ピックアップされる側になっちゃえば。別に誰かを尊敬したい訳じゃないんだし、どうせなら尊敬し合える関係性のほうが良い。

今さらスーパーマンにはなれないと思うし、バットマンにもなれないと思う。だからせめてアルフレッドになりたい。バットマンを裏で支える執事のように、スーパーヒーローにピックアップされるような誰かになりたい。