金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

情熱はまだ燃えるだろうか

振り返ってみると、あの人とは関わりが深かったなあ、と感じた人との繋がりを保てていない。それは好きになった人だったり、尊敬できる人だったり、影響を受けた人達ばかりだから困っている。

ほとんどの出会いは突然だったと思う。前触れもなく現れ、ただそれに惹かれいった。思いが通じることもあれば、通じないこともあった。圧倒的に後者のほうが多かったけど、自分にとってはすごく大切な経験だったように思う。具体的な話は恥ずかしすぎてまだ書けそうにない。でもいつか書けるようになりたい。

彼ら彼女らとの繋がりを保てていないのという事実を見たときに、その原因は自分の天邪鬼にあったように思う。自分の間違った配慮によって、その結果を招いてしまったと考えている。影響を受けた相手への感謝は計り知ることができないから、本当はずっとそばにいて欲しいのだけど、その執着を相手に知られるのが凄く怖い。近づきすぎてはいけないとブレーキがかかる。自ら進んで距離を取るのだから、天邪鬼よりも天邪鬼してると思う。我ながらいい加減にしたい。

去る者は追わない主義だ、とか、相手の人生の一部に自分という存在が少しでもあったら嬉しい、などと綺麗事をならべて無理矢理納得しようとする。できる訳がないのに。思い出さないことが1番良いことは分かっているが、影響を受けている分、忘れることはできそうにない。

しかしながら情熱のほとんどは時間の経過と共に冷めてしまったのだった。その火に送る酸素も途絶え、やがて温度は下がっていったのだった。今となっては薪組みだけが残っており、最近その薪組みをよく見たところ、まだ使えるようにも見えるのだった。種火が無いことが悔やまれる。

情熱はまだ燃えるだろうか。種火が無くても火は起こせるのだろうか。仮に燃えたとして、酸素を送り続けることができるだろうか。大切にできるだろうか。

最近は労働に関すること以外で嫌なことは特になかった。何かきっかけがあった訳ではなく、ただ単純にそのようなことを考えている。自分を世界の中心に置くことができない。もっとわがままになりたい。