金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

底まで沈みたい

片思いをしている。割と毎日が辛い。でも相手に気持ちを伝えることはたぶんない。たまに挨拶する程度の関わり合いしかないから、相手は私のことを何とも思っていないだろう。私は人の目を見て話すのが苦手だ。だからその人と挨拶するときも相手の目を見ずに挨拶している。感じが悪い人だと思われているだろう。

人が人を好きになるのは何故なのだろうと考える。しかも一方的に好きになってしまうのはどうしてなのだろうか。双方の思いが通じたときにだけ、好きという感情がお互いの間に生まれれば良いのに。

Fountains Of Wayne の Sink To The Bottom を聞く。行く宛がない寂しい人の歌だと解釈している。片思いを歌った歌ではないような気もするが、ほとんど今の私を歌っているのではないかと勘違いしている。

車は高速道路を走り、飛行機は空を飛ぶ。他の人は皆んな行くところがあるというのに、自分だけ行く宛がない。底まで沈みたい。君と一緒にそこまで沈みたいのかもしれない。そのようなことが歌われている。

本当にそうだと思う。底まで沈むことができれば良いと思う。高速道路を走る車のように、空を飛ぶ飛行機のように、何事においても適材適所があったりする。私には底が適しているし、そこに在るべき人間なのではないかといつも思っている。可能であれば、好きな人も一緒に沈んでしまえたら良いのに。結構ロマンチックだと思う。

なんだかんだ言って、この気持ちはいずれ無くなると感じている。今のところ好きなのは見た目だけだから、内面を少し知ったら冷めるような気がする。経験則としては一時的な感情であるだろうと判断している。

目に見えるものだけが全てだと良いのに。見えないところを知る努力しても、結果的には無駄になることもある。だからもういっそ底まで沈んでしまいたい。海でも地球でも宇宙でも良い。そこに誰もいなくても良い。重力で身体がおかしくなっても構わない。何でも良いから深く沈んでしまいたい。