金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

残念すぎる朝活

寝起きが1番辛い。1日が始まっていくというのに心が空っぽのままだから違和感がある。今日、世界が動き出すとしても、自分はそこに相乗れないような気がする。

全員に好かれることはできない。逆を言えば全員に嫌われることもできないはずなのだが、何故かこっちはできそうな気がする。なんなら以前できたことがあるような気さえする。全く以って不思議な話だ。

誰か1人に好かれれば良いと聞くけど、口で言うほど簡単なことではないと思う。そしてそのたった1人を好きになれるのか?という自分自身の問題もある。全員に嫌われることができるかもしれないと考える自分にとって見れば、ハードルが高すぎるってもんじゃない。今日その人がそばにいないのは、昨日までの自分がちゃんと出来ていなかったからなのだろうか。

後悔にはやり切るという概念がない。答えもなければ終わりもない。痛みのようなものは確かにあるが、その傷を肉眼で捉えることはできない。それを誰かに伝えることも大変だし、頑張ってみたとしても伝わらないことのほうが多い。

仮に後悔し続けたまま死んでいくのだとしたら、後悔をやり切ったと言い換えることができるのだろうか。成功体験に変換することができるのだろうか。

そのようなことを寝起きに考えてしまう。残念すぎる朝活である。やるなら夜にしてくれよ、と我ながら思う。こんな気持ちで毎日が始まっていくのだから、やはり寝起きが1番辛い。

これからどのようになっていくのかが全く分からない。どのようにしたいのかも明確ではない。どうしようもないまま夜に眠り、同じ気持ちで朝に目覚める。当たり前に何も変わってなくてがっかりする。最近の1日の始まりは殆どそんな感じ。

1日のスタートがどん底なのであれば、あとは上がっていくだけと考えることもできる。天気が良いというだけで嬉しく思えたりする日もある。通勤時に比較的マシな満員電車に乗れたりすることもそうだ。些細なことが有難く思える。

この残念すぎる朝活はあまり好きではないけど、良し悪しについてはよく分からなるときがある。まあ良いものではないか。単純に疲れすぎているだけなのだった。