金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

とても小さいもの

有難いことに、これまで出会ってきた皆さまは良い人たちばかりだ。これもまた有難いことに、私のことを良くして下さる。だから私も良い人のフリをして、それに返すようにしている。その人がどのような意図で良くして下さるのかは考えないようにしている。良くしてもらったと感じる自分の心持ちだけを見るようにしている。

私はあまり人見知りをしないほうだ。周りの人からも概ねそのようなことを言われる。しかしながら私は、他人に対する恐怖感のようなものを確かに持っている。それはとても小さいもので、普段は心の奥にしまっている。でも何かのタイミングで、それが出てきてしまうときがある。

そのタイミングというは自分でもよく分からない。あるときは相手の表情や声の抑揚であったりする。またあるときは、その人が書いた雑なメールやチャットの文章であったりもする。そのタイミングは本当に様々で、酷いときには鳥肌が立つほど圧倒されてしまうこともある。

トラウマと呼べる代物であるとは思う。しかし何故このトラウマらしきものを持っているのかが全く分からないのである。一体何の経験に起因しているのか、皆目見当もつかないのだから、我ながら根が深いなあと思う。忘れてしまったのだろうかと考えてみても、そんな酷い経験を忘れることがあるのだろうかと疑問に思う。とにかく、時々他人に対して鳥肌が立つほどの恐怖を感じてしまうことは事実なのである。

原因を突き止める努力はしていない。そのとても小さいものを自分で制御できた試しがないからだ。仕方がないものだ、と半ば諦めている節もある。ある程度親しくなった人たちに対してもほぼ例外なく小さな恐怖を感じる。普段は心の奥にしまっているつもりなので、周りにはバレてないと信じている。バレてたらイヤだなあ。

今まで誰かと中長期に付き合ってみて、その小さな恐怖を感じなかった人は1人もいなかった。もし本当にそんな人がいるのであれば出会ってみたい。私が人見知りをしないのは、潜在的にその人に出会いたいからなのだろうと考えている。始まりがないことにはそれを確かめる機会もなくなってしまう。この先、もしもその人に出会えるのだとしたら、少なくとも友達にはなってみたい。