金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

結果的に神様の漢方薬

結果的に業となる徳

つい先日、朝活をしようと思って早起きした。優雅にコーヒーを飲んでみたり。食育に関するドキュメンタリーを見て教養を深めてみたり。今日やらなくてもよい雑務をしてみたり。本当ならそういうことをやりたかったのだった。結局何もやる気が起きなくて、朝8時くらいからお酒を飲んでしまった。

早起きは三文の徳と言うけれど、実際はどうなんだろうと考える。早起きして飲むお酒に、果たしてどんな徳があるというのだろう。むしろ業になるのではないのか。そうだとしたら三文では相殺されないような気がする。ひとまず難しいことは置いておいて、今は早起きができる自分を褒めてあげることにしたい。

神様の代行業

もしも自分が神様だったら、不幸な人にはこれからの幸せに繋がるような経験をいくつかプレゼントしてあげたい。小さいことから配り始め、段々と大きくしてあげたい。そのほうがきっと受け取りやすくなると思うから。いつだって修復には時間が掛かるものだ。少しずつ、然るべきタイミングを見定めることに神様として専念したい。

逆に幸せな人には何をしてあげられるのだろうかと考える。その人が感じている幸せについては、神様の力ではなく自分の力で手に入れたものだと思うから、敢えて弄るようなことはしなくても良さそうだ。そっと傍観しておくのが無難だろう。

漢方薬

過去の選択は変えることができない。例えそれを成功と呼ぶことができなくても、その選択はそのときの自分にしかできなかったことに違いはない。その事実は大袈裟なことではなく、唯一無二という言葉で言い表わすことが出来ると思っている。過去は変えられないのだから、可能な限りそれらを肯定してあげられるようになりたい。同時に少し失敗したと感じたときは、反省と学びを以って次に繋げていきたい。

物事に割り切れるケースは殆どない。煮え切らないことも山ほどあって困っている。誰かの期待に対して相応のレスポンスを返すことができない。だけどその責任の所在をひとつずつ明らかにする時間は無い。結局は歩み寄れないお互いの心根が腐っているだけだ。根が深すぎて改善が難しいのだけだ。歩み寄りを継続しつつ、時間という漢方薬を飲み続けるしかない。