金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

「ありがとう」と「ごめんね」

長く生きるにつれて交友関係は狭まっていくものであると聞く。周囲の人々も狭まっていく交友関係を嘆いている。でも個人的には拡がっていくものなのではないかと考えている。それは私の経験に基づく個人的な推測である。

私は高校を中退している。理由はコミュ障だからである。或いは陰キャだからである。それらが死語というならその類の人間だからである。シンプルに人付き合いが苦手だった当時の私は、いつだってひとりぼっちで過ごしていた。

大人になるにつれて、他人との付き合いかたが何となく分かるようになっていった。嫌いなタイプの人たちとも程よい距離感を保てるようになった。積極的に自分から近づくことはしないけど、仕事などで関わり合いがある以上、関係性は良好なほうが良い。我慢の仕方を覚えたのかも知れない。

そのことは良くも悪くも「老い」なのではないかと考えている。表面的には醜くなっていくばかりだが、経験から学びを得ることで内面は良くなっていく。大抵のことには動じなくなっていき、仮に動揺したとしても冷静を装うことができるようになる。それが「老い」だと思う。「成長」とは少し違うと思う。

こうしている今も老いていくばかりの私だが、長く生きていたいと思ったことは一度もない。いま終わっても別に構わない。もしも突然目の前に神様が現れて「申し訳ないけど今すぐ消えてもらうよ」と言われてもOKしてしまうだろう。ただし「痛いのだけは嫌だからやり方はちゃんと考えてね割とマジで」と神様には依頼するつもりだ。そこは神様とか関係なくタメ口でいこうと思っている。

もしも明日そうなって良いように「ありがとう」と「ごめんね」は多めに伝えるようにしている。その時その場所で相手に伝わったと判断できるまで。明日どころか、今日という日でさえ何が起こるか分からない。神様は本当に意地悪で、本当に何も教えてくれないから。

「ありがとう」と「ごめんね」が言えるようになって以降、私の交友関係は少しずつ拡がっているような気がしている。そもそもの母数は少ないけど、楽しい人たちに囲まれながら過ごせていることを大変有り難く思っている。