金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

20230917

今後のことを考えては悶々とした時間を過ごしている。漠然とした不安感があって心が冷え切っているような気持ちになっている。外はまだ夏のように暑いというのに。

ここ最近、普通とは何であるかを考えている。昔、高校を中退したときにおばあちゃんから言われた言葉をよく思い出している。その言葉というのは「お前はもう普通ではないのだから、普通の道を歩けるとは思わないようにするんだよ」というものだった。

当時の私は、高校を辞めることに対して周囲の人から反対されていた。そのため心が疲れ切っていたから、おばあちゃんの言葉に深く傷付いたことを覚えている。なんて酷いことを言うのだろう、誰も味方がいないじゃないか、と当時は思っていた。しかし今になって考えてみると、ある程度確信に触れた的確なアドバイスであったような気がしている。

実際その言葉のようになっているし、その言葉があったからこそ、普通の道にまた戻れるよう、高卒認定の資格を取り、通信制だけど辛うじて大学まで卒業したのだった。

就職活動も当たり前に苦戦した。面接では必ず高校を辞めた理由を聞かれ、その度にしどろもどろになっていた。酷いときはその場で「集団生活にはあまり慣れていないように見受けられますね」などとバッサリ言われたこともあった。とりあえずの言い訳もできず、ニコニコしながら時間が過ぎるのを待つことしか出来なかった。確かにこの経験は普通とは呼べない。

最終的に私の就職活動は、ある地方の中小企業から貰った内定によって終えることができた。その会社としても、かなり難しい判断だったと推測している。枠としても第二新卒だったし、本当に私は運が良かっただけだ。その会社はもう辞めてしまったけど、採用してくれた人事部の担当者のことは一生忘れない。可能であればまたいつかお会いして礼を言いたい。

かくして私は普通になろうとしてきた。軌道修正に時間を掛けてばかりで、他の人はその時間に本筋のほうを邁進してきたのだろうから、生まれてしまった差を埋めることはもう出来ないのかもしれない。それは主に年収ないしは経験の差で、そもそも社会的に置かれる場所を分けられてしまったような気がしている。

仮に私が洋服だとしたら、ハイブランドの洋服とファストファッションの洋服に値段の差があるように、高級百貨店の服屋さんの店頭に後者である私が置かれることはない、という話だ。現実は厳しいと感じる。

自分が何もしてこなかったことが本質であるのに、環境のせいにできないか理由を探し続けている。本質にある自分の怠惰を認めることができない。

時間が掛かり過ぎているけど、いよいよこの本質と向き合っていかなければならない気がする。日曜の朝だと言うのにあまり気が休まらない。