金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

四等分の心

昨晩飲み過ぎたことを反省するつもりはない。気分が優れないのは低気圧だからということにしておく。飲む量は比較的に少なっているはずなのに、朝起きるのがしんどくなってきているような気がする。

社会が個人を評価するとき、報酬の差によって優劣が明確化しまうことがよくある。最近、見る必要がないのにそれを見てしまい、心が折れそうになっている。もちろん私は劣のほうだった。

役割分担の要素もあるとは思う。過去の功績に対する評価が含まれていることも分かっている。でも現時点で私に見える範囲の景色は、他の人が見ているそれとは少し違うような気がしている。本当にもう何もしたくないし、そもそも何もできていなかったからこのような結果になっているのかもしれない。

自分と他人を比べることは、あまり効率的なことではないと知っている。それよりも他にすべき事があるはずなのに、熱心に比較してしまうことを止めることができない。しかも勝手に傷ついたような気持ちになっている。ほぼ自発的に傷ついているのだから、もはや自傷行為と言っても良いだろう。

単純に暇なのだと思う。忙しいふりをしているだけで実は停滞している。回し車を走るハムスターのように、ガラガラと音を立てるばかりで1歩も前進できていない。

今更気づいたが、心は既に折れているのだと思う。少なくとも3回は折れている。1回目で折れた心は2分割され、さらにその2つもそれぞれに折れている。要するに私の心は4つに分断されているのだ。毎朝その中からマシなやつを1つを選択し、無理矢理に動かし、なんとか日々をやり過ごしている。

社会の営みにいつまでも慣れない私は、もはや大人と呼ぶに値しないだろう。見た目ばかり老いて、中身のほとんどは学生と同じだ。折れた心を積み木のようにして遊ぶ幼稚園児だ。赤子のように泣き喚くこともできず、悶々とこの文章を書いている。

どうしようもなく、The Kinks の Better Things という曲を聴いた。彼らは曲の中で「楽観的になるといい、幸せが君を見つけてくれるから」と歌っている。「僕は知ってるよ、明日君がもっと素敵なものを見つけることを」とも歌っている。

この曲を聴いている間だけは、四頭分の心がくっついて、本来の心を取り戻せるような気がした。仕事のことはどうでもいいけど、この先また生きていけるような気がした。少しだけ泣いてしまったのだから、本当に情けない話だ。

音楽はいつだってそばにいてくれる。そのことが私にとって大変な救いであることを、節目節目に分からされる。いつも前だけを向いて歩ける訳ではない。それでも良いんだよ、と音楽に言われたような気がした。