金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

牛歩でも良いと言ってくれ

人よりも歩くのが遅いことを知ったのは社会人になってからだった。

同僚と一緒に電車移動するとき、乗り換える駅でホームで「もっと早く歩け」と急かされる。「間に合わなかったらどうするのだ」と少し怒られる。仕事関係の皆さんは本当に歩くのが速い。仕事以外のところでもテキパキと過ごされていることが伺えて、その度に自分とは違うんだなと感じる。

親しい人と歩くとき、私は牛のようにダラダラと歩く。本当に何も考えずに歩く。相手が私の歩く速度に合わせてくれていたことを知ったのも、お恥ずかしながら社会人になってからだった。

食事の時もそうだが、相手の様子を伺いながらお互いに忖度し合う、という営みについてもよく知らない駄目な社会人だった。ちなみに、今はもう駄目な社会人ではなくなったかもしれないが、駄目な大人であることは相変わらずのことである。

よくよく考えてみれば、周りに恵まれていただけだったなと思う。職場には注意してくれる人がいたし、何も言わず足並みを揃えて歩いてくれる友人がいたからだ。1人では気づけなかった様々なことを教えてくれた。彼ら彼女らの優しさには感謝しかない。

私はもう昔の私ではないから、牛歩でも良いと言ってくれ、などという傲慢は垂れない。相手に合わせて歩く速度を制御できる。場合によってはちょっと走ることもできる。たまに乗り換える電車を間違えてしまうこともあるけど、素早く移動して電車に乗り込むことはできるようになっている。だから概ね良しとしている。間違えてしまうこと自体は別途、謝罪と反省を以って改善に努めている。

今の私の有様は、周りの人のおかげで出来上がったものであると考えている。自分1人では作りきれなかったと思っている。傑作ではないにせよ、見れるようにはなっているはずだ。

周りの人たちにやっていただいたことは、今後、昔の私のような人と出会ったときに還元しなければならない。そのようにして循環させていきたい。