金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

よく動くハシビロコウ

私は下を向いて歩いている。携帯を見ながら歩いているという意味ではない。そういう意味では地面を見ながら歩いている。

車道と歩道の境目には植物が植えられていることが多いように思う。コンクリートで舗装されていない部分には概ね土があって、私はその辺りを眺めることが好きだ。注意して見ると、どさくさに紛れるように小さな野花が咲いていることがある。生い茂った雑草に雨が降り、その滴を照らす陽の光がより眩しく見えたりもする。私はそのような光景を見ることを楽しみにしている。

花鳥風月という自然の美しさを表す言葉がある。一説によると、この言葉は人間が興味を持つ順番に並べられているらしい。花を美しく思うことは子供の頃から変わっていない。しかし鳥はいつまでも怖いままである。一向に彼らを美しいと思える感性が育たない。鳩も怖いしカラスも怖い。たまにテレビで見かける、動かないまま睨みつけてくる外国の鳥が1番怖い。そしてその鳥の名前はハシビロコウと言うらしい。

私が下を向いて歩いているのは、道端の草花を観察するためでもあり、ハシビロコウと目を合わせないようにするためでもある。

あるとき、例の如く草花を眺めていた私の低い視界に、輩のような鳥が入ってきたことがあった。恐らく鳩やカラスたちだったと思う。ある程度の大きさがあったので雀ではなかったと思う。

すると突然大きな音が聞こえた。車道を走り抜ける大きなトラックのエンジン音だった。臆病な鳥たちはそれに驚き、バタバタと勢いに任せて飛んでいった。私はその姿を目で追いかけ、ふと見上げた空には太陽が光っていた。ただひたすらに眩しかった。

私は歩き続けながら、遠く離れていく鳥たちの後ろ姿を睨みつけていた。顎を十分に引き、上目遣いのような格好で睨むその姿は、よく動くハシビロコウそのものだったように思う。やがて鳥たちの姿が見えなくなったことを確認した私は、再び視界を下に落とし、草花またはその類を眺め始めるのであった。

誰が何と言おうと、私はこの経験に花鳥風月を感じたのである。確かに「怖い」という意味では鳥に対しての興味を持っていることを自覚したのだから。次は風に興味を持つのだろうか、とぼんやりと考えながら、先ほどの一説の信憑性について少し納得感を覚える。これからも下を向いて歩いていこうと思う。