金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

動物は優しい人を見分けている

私の兄は太っていた。過去形で書いたのは既に亡くなっているからである。30を少し過ぎた程度の若い死だった。兄を亡くして数年経ち、亡くしてみて思うことは後悔ばかりである。

私は実家を出るまで兄と一緒に暮らしていた。暴露すると私は太っていた兄を日常的に中傷していたのだった。二言目にはデブだの豚だのと言って馬鹿にして笑った。何も言い返してこなかった兄はとても優しい人だったと思う。一緒になって笑っていたこともあったのだから。その優しさに漬け込んでいた私は一方的に兄を傷つけてばかりだった。私はそのことを酷く後悔している。「愚かだった」などという言葉では反省しきれず、やりようがない気持ちになっては今でも泣きそうになる。

私の兄は仮面ライダーとジャニーズJr.と漫画が好きだった。それらに関連するグッズのようなものを熱心に集めていた。犬や猫などの動物が大好きで、道端を歩く野良猫を可愛がるような人だった。動物は優しい人を見分けているという噂が本当であれば、野良猫に逃げられることがなかった兄は優しい人だったと言い切れるだろう。私と言えばその逆で、野良猫と目が合うなり距離を取られ、近づくことさえ許してもらえなかった。

兄は専門学校を卒業すると引き篭もるようになった。就職活動が失敗し自信が無くなっているように見受けられた。あろうことに、いや例の如く頭が悪かった私は、その傷口に塩を塗るような言葉で兄を中傷した。何も言い返してこなかった兄は笑っていなかった。

往年の兄は持病を抱えていたらしい。やがて兄は病院に行かなくなり薬も飲まなくなったと聞いた。死因はそれの延長線上にあった。私は進学と共に実家を離れて以降、一切帰省していなかったためそのことを全く知らなかった。数年ぶりの兄との再会が棺桶越しになるとは想像もしていなかった。暦上は春だったと思う。世間は暖かくなる気温と花見の話をしていた。世の中との解離に目が覚めるようだった。とても冷たく寂しい気持ちだった。

私が実家を離れたあと、兄がどのような時間を過ごしてきたのかを私は知らない。その数年の間に何を感じ、何を考えていたのかは検討も付かない。しかしながら身勝手で頭の悪い私は、兄の死因の一端に私の酷い中傷があったのではないかと考えている。いや、一端ではなくほぼ大半だったかも知れない。兄がまだ生きていたとしても謝って済むような話ではないと思う。そしてその気休めのような謝罪ですら、今となってはもう絶対にできないのである。

それ以降の私は人に優しくすることを心に決めている。だが実際は何ひとつ優しくなどできないのである。私の年齢が兄の享年を上回ったのは数年前の話だ。あれからずっと不甲斐ないままの私だ。憂うことしか脳がない頭の悪い私だ。