金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

思い出を肩ロース

新卒で入社した会社の同期に大人しくて真面目なSくんという人がいた。Sくんは口数が少なくて、必要最低限のことしか発言しないような寡黙さがあった。彼が発言する内容はいつも的確だったから、すごく賢い人なんだろうな、という印象を持っていた。

入社して少し経ったころ、同期の皆んなでTwitterをやろうという話になり、各々のアカウントをフォローし合っていた。当時の私はSNSの意味すら分かっておらず、当然Twitterもやっていなかった。LINEと何が違うの?という質問も軽くあしらわれ、同期に言われるがままアカウントを作り、皆んなのTwitterをチラ見していた。

SくんはどうやらSNSを使いこなしているみたいだった。同期との繋がりを除いてもフォロワー数がそこそこいるみたいだったし、仕事だけでなく趣味の繋がりも垣間見えた。Sくんの呟きはとても淡白で端的なものが多かった。そこはリアルでも同じなんだなって思った。

あるとき、Sくんを含め同期の4人で焼肉を食べにいったことがあった。牛角とかその辺りの安い焼肉屋さんだったと思う。食べ飲み放題だったけど、私は食べるほうに注力し、最初にビールを一口飲んだあとはひたすら肉を焼いて食べていた。皆んなも良い感じに食べて、良い感じに飲んでいた。

ふと肩ロースを注文したときに、スーパーマーケットの肉屋さんでアルバイトをしていたことを思い出した。そう言えば昔、豚肩ロースを1、2センチ幅にカットして店頭に並べていた時期があるんだ、みたいなことを話そうかなと考えていたら「思い出を肩ロース」という駄洒落を思い付いた。そのままTwitterではなくリアルでボソッと呟いてみたら、いつも寡黙なSくんが笑ってくれたのだった。私はすごく嬉しくなって、Sくんと一緒になって笑った。アルバイトの話はまた今度にしようと思った。

このようなやり取りをコミュニケーションと呼ぶのではないかと私は考えている。自分の行動と相手の反応を通して、何らかの繋がりを感じること。

Sくんも私も新卒で入った会社を辞めてしまった。私はもうTwitterをやっていないし、Sくんとはもう何年も会っていない。あの日のことも、「思い出を肩ロース」という寒い駄洒落も、覚えているのはきっと私だけだと思う。

Sくんとは辛うじてまだLINEで繋がっているから会おうと思えば会える。実際にまた会えるかどうかまた別の話だけど、その薄い繋がりがあることを嬉しく思う。いつかまた一緒に焼肉屋さんで肩ロースを頼もう。そのときはたくさんの思い出を語ろう。