金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

おばあちゃんの思い出

生まれたばかりの私の顔は父方のおばあちゃんによく似ていたらしい。親戚の人はよく、私が産まれたときに「おばあちゃんが出てきた」と思って驚いたという話をしていた。私はその話が好きだったし、今でもたまに思い出して嬉しくなる。それくらいおばあちゃんのことが好きなのだ。

おばあちゃんは私が小学校に入るか入らないかくらいの頃に亡くなった。ランドセルを買ってもらったことは覚えているけど、ランドセルを背負って小学校に通う姿は見せることができなかった。おばあちゃんが亡くなったことについて、当時は意味が分からなかったし、実は今もよく分かっていない。

会いたくても会えない人が増えていく。別に会わなくてもいい人も増えていく。どちらも増えていく一方だけどプラスになっていない。むしろどっちもマイナスだと感じている私は、これから先どうやって生きていけば良いのかがたまに分からなくなる。

成長しきった今の私の顔はどのくらいおばあちゃんに似ているのだろうか。会って確かめてみたいけど絶対にできない。絶対という言葉は存在しないと聞くけど結構あると思う。存在しないと思い込みたい人が騒いでいるだけだ。だっておばあちゃんに会うの、もう絶対に無理なんだが。

思い出の中で生きることができれば良いのにと思う。おばあちゃんの顔と名前以外の情報が薄れつつあるのだった。幼すぎて思い出の母数が少ない。おばあちゃんの声はもう思い出せない。忘れてしまうことは仕方がないことだ、と言い訳をしながら、数少ない思い出たちを死守している。基本的に歳を取ることについては何も思わないけど、こういうときは嫌だなあと感じる。経年変化ではなく、経年劣化だから。