金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

環境によって知ること

職場に尊敬できる人はいないけど、この人は自分に無いものを持っているなと感じる人はいる。割合としては少ないけど、自分が不得意なことは全部その人にお願いしたい。どうでも良すぎて興味が持てない自分の業務を、どうやってその人になすり付ければいいのかをずっと考えている。

逆に、自分にはこれっぽっちしかないのに、この人はそれ以下も持っていないのか、と呆れることもある。割合としてはこっちの方が多い。色々と大丈夫なのだろうか、と感じる人がたくさんいる。今の職場はそんな感じ。

自分の場合「この人は残念な人なんだ」と一度でも感じてしまうと、その人のことは永遠に残念な人だと認識してしまう。その後は「残念な人」という前提で諸々接するようにしていて、以降その評価を見直したケースはまだない。人付き合いに限らず、自分の直感を信じて今日まで生きていた。あながち間違っていないと盲目的に信じ込んでいる。

ただ、いつか自分も「残念な人」になってしまうのだろうか、と考えるとすごく怖い。或いはもう既にそうなっていて、自分に無いものを持ってる人たちから見限られている場合もあるのだろうか。もしそうだったら、と考えると情けなくて泣きそうになる。彼らとあまり接点がないという悲しい事実も、その推測に拍車をかけるばかりだ。

でも良いんだ。この職場でやりたいことなんかひとつも無いから。あったとしても自分には回って来ないから。だから良いんだ。

仕事以外の面で学んだことは多かったように思う。学んだというか、自分でも知らなかった自分の考えに気付くことが多かった。環境を変えることの重要性も分かった。自分を低く見積りすぎてしまう癖も、今後は治していかなければならない。

「残念な人」にならないようにすることはできる。最終的にはそうなってしまうのかもしれないけど延命はできるはずだ。自分の直感を信じたい。まずは「ちょっとだけマシな残念な人」を目指すことにしよう。