金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

おじさんは皆んなちょっと疲れている

センシティブな映画を立て続けに見てしまい気持ち的にかなり参っている。お笑い(特に漫才)が好きなので最近始まった M-1 グランプリの予選動画を見ていたところ、全体的に声がうるさすぎて内容が入ってこなかった。なかなかの重症である。声の大きさで笑いを取る漫才もあるし、そういう構成の漫才はむしろ好きなほうだが、今は少ししんどくて見ることができなかった。

動画を止めて横になってみる。取り止めのないこと考えてしまう。青リンゴって実際は緑色なのになんで青リンゴと呼ばれているのだろう。青信号も実際は緑色だし。靴下は靴の中にあるから靴中と呼ぶのが正しいのではないか。東京ディズニーランドも実際は千葉にある。緑リンゴは少し語呂が悪いような気がする。耳障りの兼ね合いで、それらはそのように呼ばれているなのだろうか。どうでも良い小さな矛盾が気になってくる。

おじさんは皆んなちょっと疲れている。身体の痛みを庇いながら歩いているように見える。彼らに体調を尋ねたとしても、彼らは「問題ない」と言うだろう。本当は問題があるのにそう答える人もいるだろう。そこにはどんな美学があるのだろう。ただの痩せ我慢ではないのか。大抵のおじさんは太っているというのに。

いつか自分も彼らのようになるのだろうか。吊り革に捕まり電車に揺られると少し痛んでくる右ひざのことを思い出す。さほど遠くないであろう未来を想像する。そして自分は生まれつき痩せ気味だったことを思い出し、我慢は良くないよなと自戒するのであった。