金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

左側から終わる

そんな風に考えてしまうのは、左目の視力が右目の視力よりも悪いからかも知れない。私は俗に言うガチャ目である。左目のほうが0.2くらい視力が弱い。裸眼では0.1も見えない両目ではあるが、矯正するとこんなにも差が出るなんてどういうことなんだろう?といつも思う。私の目の使いかたが悪いだけなのだろうけど、誰かに目の使い方を習った訳でもないし、ある程度は仕方がない部分もあると考えている。眼鏡、コンタクトレンズという文明の利器に甘えてばかりだ。

左側から終わる。そんな風に考えてしまうのは、左側に心臓があることを知っているからかもしれない。厳密に言えば、人間の心臓は胸部真ん中のやや左側にあることが多いらしい。そのことを幼少の頃に知って以降、感情の変化に合わせ、たまに痛みを伴う左胸部に、自分の弱点のようなものが潜んでいると思うようになった。

人間が終わるときは、左側から終わって欲しいと思う。私は右利きだから、余計にそのように思う。左目が見えなくなっても、右目を駆使して映画を見たい。左脳で計算が出来なくなっても、右脳を駆使して創造的なことをしたい。やや左側にある心臓が止まるまでは。

雨の日は空が低く見える。スーパーマリオドッスンのように、雨雲が物凄い速さで降って来たとしたら、私はいっぺんに潰されてしまうのだろうか。左側とか右側とか関係なく、一気に押し潰されて平たくなってしまうのだろうか。先週末、久々に雨が降った日の朝に、そのようなことを考えていた。