金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

在る人の苦労を想像するとき

去年の終わりくらいに転職先が決まり今年の初めから新しい職場で働いている。転職の理由はやってみたい仕事があったらで、それができる可能性があると聞いて転職を決意した。それから半年以上が経過した今、未だにその仕事は任されていない。到底やりたいとは思えないような、どうでもいい仕事を任されている。

最近は残業が多くなってきている。もちろん36協定の範囲内ではあるが個人的にはとてもしんどい。業務量に対して単純に人が足りていないのだ。そのことは会社も理解していて、今月の半ばくらいから1名増員されることになった。この新人さんはとても優秀そうに見える。会話の節々で頭が良いことが窺える。1か月もすれば自分以上の働きをするのであろう。

唐突だが私は15歳のときに高校を中退している。高校1年生の秋だった。表向きの理由は経済的な事情によるものとしているが、実際はただの不登校によって生じた単位不足が理由である。当時の私は新しいコミュニティに入っていけず心が折れてしまった。いじめられたという事実もなく、そもそもそれが発生し得るコミュニティに入れなかったのでいつもひとりぼっちだった。勉強は得意ではなかった。運動も苦手だった。音楽だけが拠り所だった。

それから私はしばらくの無職期間を経たあと高卒認定を取得した。そのあとはアルバイトをしながら通信制の大学に通うことした。口が裂けても良い大学とは言えないが、ちゃんと4年で卒業できたことは私の人生において数少ない成功体験のひとつである。しかもその経歴が評価されて今の仕事に繋がっていることを踏まえると、自分は本当に運が良かったなと思う。

話を戻すと私は高校を中退している。かつ通信制の大学には受験がないため、高校受験以降で勉学に勤しんだ経験がほとんど無い。頭の悪い私だ。そのため名門大学を卒業した人の苦労を想像するとき、尊敬を通り過ぎて萎縮してしまうのである。そう、新しく着任した新人さんは関西のほうにある名門大学を出ているみたいなのだ。しかも国立の大学らしい。萎縮を通り越してもはや怖いのである。

正直、既に負けていたような気がしている。その人に出会って以降とかではなく、出会う前とかでもなく、遥かずっと昔から。人生における「勝ち組」と「負け組」の話を聞いたことがある。収入、学歴、結婚、その他諸々に関する議論だったような気がする。恐らくその話を最初に始めたのは前者の人間だったのではないかと疑っている。一方で「人生に勝ち負けはない」みたいな言葉もよく耳する。ほぼ後者よりの人間である私はその言葉をこっそりと信じている。

新人さんに教えられることなんて何もないよ、と私の直感が言ってくる。うん知ってる、と返すと同時に、私はこの文章を書き始めるのであった。