金曜の夜は別の人になりたい

人生は割とへっちゃら

君をのせて

小学校、中学校のころの記憶が軒並み無くなっている私だけど、印象に残っている担任の先生のことは覚えている。小学三、四年生のときの担任だったイシカワ先生。音楽が好きな人で、怒らせると怖い先生だった。

先生の専門はもちろん音楽だったと思う。合唱コンクールの時期はいつも気合いが入っていて、放課後に1時間くらい皆んなで居残りして練習したりしていた。もちろん自主練とかではなくて、先生も一緒に練習していた。お腹から声を出すこと、楽しむこと、その2つをよく言われた。恥ずかしがり屋だった当時の私は、どちらも上手くできていなかったと思う。「ちゃんとやらないと怒られるぞ、先生は怒らせると怖いんだ」とクラスの中でも特に元気な同級生がよく騒いでいた。確かにイシカワ先生は怒ると怖かったけど、合唱に関することで怒っている姿を私は一度も見たことがなかった。

合唱の課題曲は「君をのせて」だった。当時の私は「天空の城ラピュタ」の曲であることを知らなくて、学校の教室で初めて聞いたときは何て美しい曲なんだろうと思った。「天空の城ラピュタ」は見たことがなかったので、近くのレンタルビデオ屋さんで借りて見てみたけれど、小学四年生だった私にとっては内容が難しすぎてよく分からなかった。「君をのせて」が流れる場面まで早送りして、終わったら巻き戻して、テレビから繰り返し流れてくる音楽に合わせて歌をうたっていた。

イシカワ先生は相当優秀な指導者だったんだと思う。学校内部の合唱コンクールは金賞だったし、色んな学校が集まる外部のコンクールにも出させてもらった。そのときのことはあまりよく覚えてないけど、蝶ネクタイをして皆んなで歌っている写真が実家に残っていたはず。今でも大切な思い出のひとつだ。

皆んな元気にしているかなと思う。成人式以降、当時の同級生たちとはもう連絡を取っていない。地元を離れて久しい私だ。イシカワ先生もそうだけど、皆んな元気にしているのかな。落ち込んだりもするけれど、私は元気です。これは「魔女の宅急便」だったかな。

さあ出かけよう、一切れのパンを持って。ナイフとランプは持ってないから、代わりに携帯電話を持っていくことにしよう。毎日が冒険だったあの頃を思い出している。どうやら地球は回っているみたいだった。いつかきっと出会うであろう、君という名の誰かをのせて。

交差

みず

大人になってから気付いたことはたくさんある。家族の有り難みとか、社会の厳しさとか。子供のころ苦手だったことはずっと苦手であることとか、逆に好きなことは今でも変わらないこと。他にもなんやかんやあるけど、結局は水がいちばん美味いということは、まず間違いないだろうと思う。歩き疲れて座った公園のベンチ。ラーメンを食べたあと。飲みすぎた日の翌朝。お風呂上がり。お腹があまり空かない私はよく喉が渇く。お茶やカルピスも好きだけど、やっぱり水がいちばん美味い。

わたしは最悪

という映画を観た。毎日は選択の連続で、そこには正解も不正解もない。後戻りできないという現実は確かにあって、その事実がたまに物凄く痛い。タイミングで起きたことを理由にして、根本的な部分は保留にしておく。単純に腹を括れなかっただけなのに、それっぽい言い訳を並べて無理やり納得する。腹を括れていなくても生活は続いていくし、世界は変わり続ける。そういう現実が淡々と描かれているような気がした。世界でいちばん最低な人間。映画の原題を直訳するとそんな感じになると思う。原題に限らず、共感が多い映画だった。

2023年

の僕は迷走していた。いや今も迷走し続けている。何かがまた壊れてしまったと感じたのがこの年で、たぶんもう再生できないから新しくするしかないと思った。気のせいだったら悲しいけど、今に繋がっているような出会いもあった。また違う交差点で会えたら良いなと思う。同じ方向に進めないからこそ、僕はその人の行先が気になっている。いつかまた会えたら、みたいなことを期待している。

思っていること

だけを書きたい。思っていることは思っているだけでは伝わらないから書いている。ただ、書くことはできても話すことができない。本当に伝えたいときに伝えたいことが話せない。何事も基礎が大事だと聞く。初歩的なことから試し続けている。昨日も今日もしどろもどろだけど、いつかマシになったら良いなと思っている。

口内炎が痛い

このあいだ韓国料理屋でサムギョプサルとかチゲとかを食べた。私は口内炎ができやすいう謎の体質なので、チョコラBBとか口内炎に効く漢方などをたまに飲むようにしている。特にカリカリしたものを食べたときの発症率が高くて、そのときはチヂミを食べているときに口内炎ができた。口の中の左側、できたときの痛みはあまりなかった。自分ではあまり見たことがないけど、おそらく最初は血豆のようなものができて、徐々に膨らんで大きくなっていった。それが歯に当たったときに出血して少し鉄の味がした。ちょうどチゲを食べていたから、魚介とニンニクの味がかき消してくれた。辛味が少し痛かった。

私は辛いものが好きで、楽天で買いすぎた唐辛子を持て余している。持て余しているから何にでも唐辛子をかけてしまう。主にインスタントラーメンにはかけすぎてしまう。どれくらい前だっただろうか、二日酔いには辛いものが効くと聞いたことがあった。それからは飲み過ぎたあとは辛いものを食べるようにしている。ただのプラシーボ効果なのかもしれないけど、ちょっとは回復したような気がする。ちなみに、口内炎にはあまり良くないと思う。

珍しくあまり痛くない口内炎だった。口内炎が痛い、という内容を本当は書きたかった。痛みに慣れてしまっただけなのだろうか。このあいだ煎餅を食べたときにできた口内炎のほうが酷かった。そのときは右側で、奥歯の近くだったからその後の食事がしんどかった。思わず煎餅を販売していたセブンイレブンを恨みたくなるほどに。今年はもう食べたくない、チヂミもセブンイレブンの煎餅も。でも美味しいから懲りずにまた食べちゃうんだろうな。

口内炎ができると、何もしなければ良かったと思う。チヂミを食べなければ、煎餅を食べなければ、みたいな感じで。水だけ飲んでおけば良かったって思う。1度に2個以上の口内炎ができることもある。あまり楽しくない食事だと割にあってないやんけ、と思う。ギタリストの指先の皮膚が厚くなるように、物書きにペンだこができるよに、口内炎ができて治るたびに口の中の防御力も上がっていけば良いのに。

いいひと

ではない。私は良い人ではない。昔からそうだった。とはいえ悪い人でもない、と思う。けれども、誰かから見れば私も、悪い人になり得るのかもしれない。

仕事中、熱心にアドバイスをするようなフリをして批判してくる人がいた。中身をどう判断するのかではなく、外見をなぞっただけの批判的な個人の感想を伝えられて困ってしまった。そういう人の相手をするのはもう嫌なんだけど、そういうのも仕事のうちだって自分に言い聞かせて我慢した。果たしてこれは良いことなのだろうか。何も言わずに譲歩することは良いことなのだろうか。ただし、一緒に働く人を選べない自分が一番悪いということは、よく理解しているつもりだ。

ひとりで頑張ってみようと決めたのだから、割り切ってしまえば良いだけの話じゃないか。見返りが期待していたものと違うことなんかよくある話じゃないか。不愉快が顔に出てしまう私と、それを隠そうと努める私がいる。この先もこんな感じでやっていくのだろうか。本当にやっていけるのだろうか。

子供の頃から人との付き合いかたがよく分からなかった。新しい友達ができたとしても距離感がよく分からなかった。将来の夢とか、好きな人のこととか、そういう個人的な話をするのが苦手で、誰かと腹を割って話すことが大人になった今でも上手くできない。シャイだから、で大目に見てもらえたのは学生のときまでで、今となってはプライドが高いだけの変なヤツという感じだ。

久しぶりに渋谷に行った。電車から降りるとき、急いでそうな人に先を譲っていたら最後のほうになってしまった。先を譲った人からお礼を言われることなんてないし、なんならこれから乗車しようとドア付近で待っている人から早く降りろやと言わんばかりの目で見られた。ようやく電車から降りて、人の流れに沿って歩いていた。駅の外に出るつもりがお洒落な商業施設のようなビルに着いた。何も上手くいかない日は往々にしてあって、今日がその日だなと思った。

君とまた春に会いたい

久々に友達と会ってきた。毎年なんだかんだで2、3回くらい会っていたのだけど今年は全然会えてなくて、もうすぐ年末だと言うのに今年初めて会ったのだった。

全くと言って良いほど久々な感じが無くて、最初の「元気してた?」みたいなルーティンが終わったら後はもう適当だった。深い話はお互いにたぶん嫌いだから、浅い話で盛り上がった。その絶妙な距離感が私にとっては居心地が良かった。正直なところ友達がどう思っていたのかは分からない。それでも私はお酒を飲みながら美味しいものを食べれて楽しかった。友達も同じ気持ちだったら良いんだけどな。

帰りはいつものようにラーメンを食べに行った。辛いラーメンが食べたいと言った私と、それについてきてくれた友達だった。ラーメン屋に入って注文するとき、友達は「辛いもの苦手なんだよね」と言った。私は「聞いてなかったよね、ごめんすぎ」と言って謝罪した。同時に、いつも自分勝手に動いてしまう自分の浅はかさを恨んだ。飛び切り辛いラーメンを注文した私と、全く辛くないラーメンを注文した友達だった。「この店には前世で来たことがあるよね」と言っていた友達も相当に酔っていたのだと思う。私は「そんなことあるかあ」と返したけれど、もしもそうだったら面白いなと思った。また明日から日常に戻ってしまうことが信じられなかった。

その友達とはまた春くらいになったら会いたいと思う。年内にもう一度くらい飲みに行けたら良いんだけど、たぶんお互いに時間が合わなそうだ。友達は会社員で、ここ最近は出世して部下もいるみたいだ。個人でやっている私とは訳が違う。このギャップがいつか友達との関係性に響いてきてしまうのだろうか、そんなことを考えて少し寂しくなってしまった。社会性が無いというか、組織や集団が苦手な私は、やっぱり人としての何かが欠落しているのだと思った。

次に会うときはもう少しマシな人間になっていたい。自分勝手に行動したり、奢るような態度は控えないといけない。少しずつ変えていきたい。

その先に夢や目標がなくても

学生のころ、お金が無さすぎて携帯代が払えないことがよくあった。携帯が止められると発信ができなくなるだけで、電話やメールを受信することはできた。今も同じかどうかは分からない。当時はまだ電話が主流の時代だったから、電話を掛けれないことは結構痛かった。でも、水道ガス電気と比較すると支払いの優先度は低くて、あまり良くないことだけど後回しにさせてもらっていた。

当時、お金が無くて支払期限を過ぎてしまうことに罪悪感を覚えていたけど、明日明後日すら見えない状態だったからそれどころではなかった。だからと言って許してもらえるほど社会は甘くなくて、支払いに追われながらギリギリの毎日を過ごしていた。当時はまだ学生だったから、アルバイトを増やしたりすれば良かったんだろうけど、単位が無さすぎて卒業できない可能性があったから控えておいた。でもそれはただの言い訳でしかなくて、本当は陰キャすぎて面接が通らなかったり、アルバイトを増やしたとしても人間関係で疲れて辞めてしまったり、色々とダメな生活を送っていた。

そんな中でも両親からの連絡は随時あって、私はいつも連絡を返せなかった。携帯が止まっていたから、折り返しの電話やメールの返信をすることができなかった。そういうときはいつも、30円くらい握りしめて近くの公園にある公衆電話から実家に電話していた。通話できるのは数十秒間だけだったから「とりあえず元気だよ」みたいなことだけを両親に伝えた。携帯の電波が悪くて公衆電話から掛けてるんだ、もう時間がないから切るね、とか言って。本当は色んな話を聞いてもらいたかったけど、心配させるだけだと思っていたからできなかった。親を頼るくらい普通なのに、と今では思う。当時は本当にギリギリだったから、冷静な判断はできていなかったのだと思う。

もしも過去に繋がる公衆電話があるのであれば、当時の私に電話を掛けてみたい。恐らく出てくれないだろうけど、よく頑張っているね、と言ってあげたい。その先に夢や目標がなくても、未来は繋がっているよ、と伝えてあげたい。気味悪がって速攻電話を切るんだろうな、でもまあそれはそうか。

当時の自分を振り返って、もう少し周りを頼っても良かったんじゃないかなと思う。そしてそれは今の私に対しても同じことを思う。まだ間に合うのだろうかと思う。

20241029

税務署が開催している税金や帳簿のやり方についての勉強会に参加してきた。何も分かってなさすぎてちょっとヤバイなと思った。色んな種類の帳簿があるみたいだけど、自分は最低限の帳簿だけで大丈夫そうだった。手書きで記帳するのは無理そうだったから会計ソフトを導入しようと思った。来年の春、自力で青色申告をやってみよう。1回くらいは自力でやってみたいから頑張ろう。

勉強会の会場の最寄駅は初めて降りる駅だったけど、駅前の雰囲気には既視感があった。各駅停車しか止まらない私鉄の駅は、都内であっても絶妙かローカル感があって良い。少し時間があったので少し散策してみたところ、税理士事務所を何軒か見つけた。近くに税務局もあるらしいから、きっとそういう街なんだろうなと感じた。お金持ちがたくさん住んでいるのかな、などと考えながら、雨が降りそうな曇り空を眺めていた。

帰り道、地元のスーパーでポテトコロッケを買った。醤油をかけて食べると美味しいから最近よく買ってしまう。冷めていても美味しい食べ物って凄いと思う。割引シールが付いてないコロッケだったけど、今日は勉強を頑張ったから別に良いんだ。